多くの人間は人生の最期まで、自分の『能力』『才能』に気づかない!
と、▼先日書いた。
多くの人間は人生の最期まで自分の『能力』『才能』に気づかないまま一生を終える。その理由を考えてみた! - A1理論はミニマリスト
じゃあ、
『能力』『才能』に気づいたらそれでいいのか?
というと、そこまでコトは簡単じゃないと僕は思う。
『能力』『才能』があっても、
そもそも、そのコト自体が『好き』じゃないとうまく行かないと僕は思う。
『好き』に向かうパワーは、ものすごく強い!
と僕は思う。
先日、下諏訪で元バックパッカーのブロガー『森のテロル』さんと温泉に入りながら、
「『100万円貯めよう!』と思うと難しいけど、『旅をするのに100万円が必要!』となると100万円はすぐに貯めれる!」
というような話をしましたw
まぁ、これは中東にまで行ってしまう、どうしようもない旅好きの人種の発想ですがw
(ちなみに、旅をする人間と、しない人間の大きな違いは『旅が好き』 かどうかだけの気がするw)
『好き』に対するパワーはすさまじい!
と、僕は思う。
『好き』だからこそ、
「PDCAサイクル」はグルグル回っていくし、
「トライ&エラー」も繰り返すし、
「成長曲線」も難なくクリアしていく!!
『才能』『能力』だけあっても、結局、その事象が『好き』じゃないと、パフォーマンスが悪い、もしくはその事象にそもそも取り組まないんじゃないかな?
と僕は思う。
例えば、昔、僕が姫路にいた時に家でテレビを見ていて、関西ローカルのトーク番組(大好き!)で、トミーズ雅がこんな話をしていた、
「昔、友達にボクシングジムに連れて行かれて、ちょっと遊びで『雅も試しにボクシングしてみれば?』ってことになって、試しにグローブはめてリングに立って、やってみたら、5戦5勝5KO勝ちした。」
「それで、すぐに『是非、このジムでプロになってくれ!』って言われたけど、断った。」
と言ってた。
当然、会場の他のタレントから、
「なんで???」
と聞かれた時、トミーズ雅は、
「人を殴るのには『理由』がいる。」
と答えた。
その答えに、一瞬、会場が、
「・・・・・?」
となっていたけど、要は、トミーズ雅は、
「『理由』もなく人を殴りたくない。」
つまり、
「ボクシングは『好き』じゃない。」
と言っているんだろう。
おそらく、彼の性格上、人を『殴る』ことより、人を『笑わせる』ことのほうが「好き」で、だからこそお笑いタレントになったんだろう。
『才能』があり、そして、その本人もその『才能』があることを認識したとしても、
本人が、そもそもそれが「好き」じゃなかったら、その『才能』には花が咲かないんじゃないかな?
また、島田紳助は▼『XとYの方程式の話』でこう言う、
www.youtube.com
「自分が『面白い』!と思う中でも2つあるよな。『面白いけどできひん』と、『これ俺といっしょや!』と。」
「これ『できる』と、俺とおんなじや、俺が友達笑わしてる時の『パターン』や、俺が笑わしてる時の普段のしゃべりはこれやねん!と。」
これは、『才能』から『好き』なことを探すのとは逆に、
『好き』なこと(ここでいう「しゃべり」)の中から、『できる』『できない』を切り分けしていく作業なんだろうな。
『才能』から『好き』を探していくより、『好き』から『できる』を切り分けしていったほうが、もしかしたら手っ取り早いのかもしれない。
ま、方法論はいろいろあるだろうけど、結局、
『好き』×『才能』
こそが最強の生き方だと思う。
僕から言わせれば、『才能』とは、▼「自分以外の人たち」の中央値から極めて飛びぬけている能力であって、
『才能』とは、「自分以外の人たち」の中央値からの偏差の値で決まると思う。 - A1理論はミニマリスト
「がんばる」「がんばらない」のレベルではない、
「自分以外の人たち」の多くが到達できない『能力』
だと僕は思っている。
で、
それに『好き』が拍車をかける!
『好き』だからこそ、PDCAサイクルが半永久的に周り続ける!
ただでさえ強い大魔王ゾーマに、半永久的にバイキルトがかかり過ぎて、
もはや「『チート』の粋」
に達してしまうようなものだw
僕は、『好き』なことは、
『A1』なこと
だと呼んでいる。
で、『才能』とは、
「自分以外の人たち」の中央値からの偏差の値
だと思っている、つまり
『能力』
だと思っている。
なので、『好き(A1)』×『才能(能力)』に▼ハマっちゃって、
いつでも▼『フロー状態』にスイッチできる『能力』のことを、、、
僕は、
『A1能力』
と呼んでいる!!
そして、その『A1能力』に目覚め、さらに、いつでも『A1能力』を発動できる人間のことを、
『能力者』
と呼んでいる!
諺に、
「好きこそモノの上手なれ」
という言葉があるけど、
これは『A1能力』を自由に発動できる『能力者』になれた場合のことを指すんじゃないか?
と僕は考えている!
逆に、
「下手の横好き」
という諺もある。
これは結局、『好き(A1)』のみで、『才能(能力)』がない状態を指しているんじゃないかな?
つまり『A1能力』が発動できない状態。
紳助が▼この動画で、(しかし、俺、紳助動画、『好き』やなーw)
www.youtube.com
「才能ないのに10年もこんな仕事(お笑い芸人)したらあかんねん」
というのは、僕の言葉で言うと、
「『A1能力』も発動しないまま、『好き』だけで人生の健康時間を浪費するのはコスパ悪い!」
ということだ。
僕から言わせると、
それは『諦め』じゃなくて、
「『A1能力』を発動し、コスパのいい人生を過ごす」
という大目的のための一過程にしか過ぎない。
つまり単なる、
『人生のチューニング』
だ。
逆に、
『好き』だけで、自分にはない『才能』に執着する人生時間のコスパは悪すぎるのだ!
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むしろ、『執着』するべきは、
「人生の残りの健康時間の使い道」
だと僕は思う。
ラテン語で言う▼『メメント・モリ』だ。
ジョブズの言う、
「『自分の人生』を生きろ!」
という▼言葉と同じだ。
『他者評価』なんて断捨離!『自己評価』で生きた時間だけが「自分の人生」だ!! - A1理論はミニマリスト
で、僕は
21世紀は、この『A1能力』の時代
だと思っている。
なぜなら、
▼「プロダクトの『生産性』」がカンストしたからだ!w
『生産性』の議論は「生産性が低い」んじゃないかな?『生産性』って『才能』のひとつな気がする。 - A1理論はミニマリスト
いや、厳密に言えば「プロダクトの『生産性』」はカンストしていないのかもしれないが、そのプロダクトのマーケット・ニーズはほぼカンストしていて、そういう意味ではやはり、事実上の「プロダクトの『生産性』」はカンストしているのだ。
我々が生まれた『20世紀』は「プロダクトの『生産性』」が貧弱だった。
なので、人間は『個性』を殺し、ひたすらプロダクトを生産し続けるしかなかった。
市場にも『モノ』が絶対的に不足していた。
そして、そのうち『モノ』はいつしかステータス化し、そんな『モノ』が欲しいがために「大人たち」はほとんど休まずに働いた。
(その名残が現在の労基法無視の長時間労働w)
学校教育では『才能』を殺し、5教科で6割以上合格することが絶対命題になった。
「『モノ』を生産し続ける機械」
である人間は、同一規格であるべきで、『個性』や『才能』は、規格外の『悪』であった。
なぜなら、『殖産興業』こそが『富国強兵』への近道だったからだ!
貧しい時代、食うや食わずの時代の人間にとって、
「プロダクトの『生産性』」がカンストする時代が来るなんて、夢にも思ってなかったんじゃないかな?
って思う。
20世紀は、
なにが『豊かさ』なのか、よくわからないまま『豊かさ』を追い求めた時代だったんじゃないかな?
と思う。
が、人類は21世紀に入り、事実上の、
「プロダクトの『生産性』」
はカンストした。
『モノ』は作れば作るほど「余る」時代になった。
けど、20世紀の没個性教育を受けていた世代にとって、そんな時代は、
なにをどうしていいのかわからないw
なにがなんだかわからないww
20世紀のように頑張ろうにも、機械のほうが人間よりはるかに『生産性』が高いし。
で、作ったところで売れないw
飢えない時代に、モノはたいして必要ないし、そうなれば、モノを買うためのおカネもたいして必要ではなくなる。
「じゃあ、どうすればいいんだ??」
と聞かれたら、僕はこう答える!
「21世紀は『A1能力』を発動しながら生きることこそがコスパ最強人生で、逆に『A1能力』を発動しない人生はコスパ最悪になる!」
とw
21世紀は飢える確率が極めて低いんだから、
『好き』×『才能』
である『A1能力』を発動させて生きて行くほうが絶対に楽しいからだw
でも、それを、21世紀初頭の人間に言ったところで、
「おまえはなにを言ってるんだ!?」
と睨まれて終わりだと思いますw
そこで僕は、もうひとつ、
「『A1能力』を持つ『能力者』どうしは惹かれ合う!」
と考えている。
なぜなら、
「『A1能力』は組み合わせることによって、さらなる『コラボ能力』に昇華される!」
と思うからだ。
『A1能力』を組み合わせることで、『能力者』のお互いの『A1能力』の弱みを補完し合い、さらなるオリジナルな『能力』が発動されるからだ!
で、さらに僕は、21世紀初頭は、
「『A1能力者』が集住する町が出来始める」
と、考えていて、そんな町のことを僕は▼『チャンスの国』と呼んでいる!
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みんなが好き勝手に、日々、自分の『A1能力』を発動させながら生きていて、しかも場合によっては、その『A1能力』を組み合わせて発動させる町が、世界中に出来てくると思うし、
日本中にも出来始めてくる!
と、僕は考えている。
www.youtube.com
まさに、
「Crazy Noisy Bizarre Town」
(狂った、騒がしい、奇妙な町)
という感じで、20世紀的な日本人からしてみれば、
「変な人達の変な町」
なのかもしれないけど、僕から言わせれば、そういう町に住んでいる住人こそが、
「プロダクトの『生産性』」がカンストした21世紀に、
一番、『理にかなった生き方』
をしているのだ。
そして、
そういう『A1能力』に目覚めた人間こそが、20世紀の呪縛から解放され、「自分の時間」を生きれるんじゃないかな?
と、僕は思う。
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『バイツァ・ダスト』の『能力』は無敵なのだーー!!
▼『居』場所に人生が従属する21世紀では、
『住』従属人生の19世紀、『職』従属人生の20世紀、『居』従属人生の21世紀。 - A1理論はミニマリスト
そういう▼『居』場所を『生産』する能力のほうが、「プロダクトの『生産性』」より大事になってくると僕は考えます!
『生産性』というレアな能力者はその能力を社会に還元するべき!でもそのスキームは20世紀と21世紀では異なると僕は思う! - A1理論はミニマリスト
で、
個人的には『能力者』は、なぜかゲストハウスのカフェやバーに集まるような気がする。
理由はよくわからないけど、
おそらく、20世紀の大量生産・大量消費型の日本社会から弾き出された、いい意味でも悪い意味でも『規格外』な人間が、唯一、くつろげる場所がゲストハウスのカフェやバーなんじゃないかな?
って思います!
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そういう意味では、
「ゲスハの極み!」と僕が勝手に呼んでいる『マスヤゲストハウス』と、
価値のないモノに価値を見出す『リビルディングセンタージャパン』 がある、
長野県の「諏訪地域」
が、僕の中では一番、『チャンスの国』に近いと思っていて、ついつい毎月通ってしまってますw
諏訪地域がこれからどんどん『チャンスの国』になっていく気がビンビンします!! - A1理論はミニマリスト
というわけで、今回の記事の内容をまとめると、
◆「プロダクトの『生産性』」がカンストし、モノの価値が暴落した21世紀以降は、『A1能力』を発動させることに大きな意味が出てくる!
◆『A1能力者』どうしは惹かれ合い、なぜか各地のゲストハウス周辺に集結する!
ってことです!
で、これこそが、僕の、
『A1理論』
です!!!