昨日、千葉で「小屋暮らし」をしている人たちのこの動画を見た。
小屋暮らし特集 - YouTube
僕は田舎出身なので個人的にはもう田舎暮らしをしたいとは思わないけど、でも動画では小屋仲間もいて、いっしょに料理なんかしたりして楽しそうだと思った。
『古民家シェアハウス』とか『セルフビルド』は知ってたけど、こういう『小屋暮らし』はその中間くらいで、元々モノが少ないミニマリストにはぴったりな生き方だと思った。近隣の人たちも理解を示してる感じだし。
僕は都会の社畜暮らしに疲れてこういう生活をするのは悪くないと思う。気持ちはめちゃくちゃわかる。(ていうか僕も都会で「Bライフ」してるようなものだからねぇw)
しかし、動画の最後のほうのスタジオのコメンテーター達のセリフを聞いて、
「ああ、こいつら(コメンテーター達)わかってないなぁ。。。」
と感じた。
「仕事して欲しいですね。」
「iターンみたいなものもあるもんね」
「しいたけうまくいくとか、鰯の加工品を作って行くとか」
「どれだけ根がはれるかですね」
「鰯は拾うんじゃなくて獲りに行けばいいんだ」
いやいやいやいや。。。。
その『日本社会の労働』に費やす労力のコスパが悪いからこういう暮らしをしてるんじゃないか。。。
じゃあいったい、しいたけ栽培したり、鰯を獲ったりする仕事をして時給いくらくれるんだよ、年収いくらくれるんだよ。。。
「安い労働をするくらいなら、生活費を下げ、ネットを最大限活用し、人生のうちの『健康時間』を有効利用したほうがいい。」
と、小屋暮らししている人たちは考えてるんじゃないかな。
これは立派な生存戦略であり、きちんとしたポートフォリオじゃないか。もっともっと評価されるべきだ。
世の中、何事も『費用対効果』だ。
テレビ局や制作会社だって安い広告費でカネのかかる番組は絶対に作らないだろうし、コメンテーター達も今の半分のギャラで出演してくれと言われたら断るだろう。
みんな最小の予算で最大のパフォーマンスを発揮すること、もしくは最小の労働で最大のお金を稼ぐことばかり考えてるじゃないか。
小屋暮らしをしている人たちも全く同じで、今まで稼いだ貯金内の最低の予算で、最大限に人生を楽しむことだけを考えているだけだと思う。
全く持って正しい行為じゃん。むしろネットを最大限活用している分、テレビ局側の人間より頭がいいくらいだ。
それをなんでまた低賃金の社畜生活に逆戻りしないといけないんだ。
結局、コメンテーター達は『エスタブリッシュメント階級』側の人間で、意識的か無意識的かわからないが、
「俺らの奴隷として安価に働かんかい!!」
と言ってるのだろう。
いやいや、その労働単価の相場がおかしいから、
「それだったら自給自足の小屋暮らししたほうがまだマシだ!」
となってるからこその「小屋暮らし」生活じゃないか。
むしろ彼らに鰯をくれた船に乗ってたおじさんのほうが同じ労働者階級出身者として彼らの気持ちを理解していたんじゃないかと思う。
「鰯を船に乗って獲りに行けばいいんだ!」
というのは、
「パンがなければお菓子を食べればいいんじゃない!」
くらい労働者階級の現状を理解していない言葉だと思う。
いい加減「労働=善」という20世紀的価値観の『ゼンマイト光線』から日本人は解放されるべきだ。
モノにはそれぞれ価格があるように、「労働」には「割に合う労働」と「割に合わない労働」があるという当たり前の事実を認識するべき。
『自分の人生の中の健康時間』こそが人間の最大のリソースであり、そのリソースを割いてまでする「労働」が割にあってないなら「割にあってない!」と主張するべき。
「割に合わない労働をするくらいなら家でニコニコ動画見てたほうがマシ!!」
と言わないから、いつまでたってもブラック企業はなくならないし、病む人間も減らない。そりゃそうだ、その時給で働いちゃうんだもん。
で、労働者が病んで延々実家ニートや自殺しちゃったりとかしたら当然、労働者人口が減って税収は減るんだから中長期的に見ても国家的には損失だと僕は思う。
「労働」することが「善」なのではなく、「割に合う労働」をすることのみが「善」だという考えをもっと広まるべき。
だから僕は「小屋暮らし」がもっと広まればいいと思っています。
↓こちらの動画は以前放送されたもの。
www.youtube.com
あと、この本、すごくおもしろそう。