※個人の意見です
毎日のように、仕事から帰って来て、軽く西友のチューハイウメ5%を飲みながら勢いでブログに雑文を書き続けていると、当然、自分が書いた文章を何度も読むことになるので、自分で自分を少し客観的に見ることができます。
で、そこから、最近、少しわかったことがあります。
それは、
「俺は、39年ほど、ずっと『自己評価』で生きてきているな。」
ってことです。
自分で自分を評価し続けていて、そして自分の自分に対する評価が高いw
なので、他人から自分が評価されなかったらキレたり、机蹴ったりするし、
万が一、他人から評価されたとしても、自分で自分に納得いかなかったら、自分を評価しない。
「いや、それ単なる偶然だから。状況が違ってたらダメだったし。」
とか思ってしまう。
この動画でもよく紹介する島田紳助のNSCでの▼「神講義」がある。
www.youtube.comこれは蛇足だけれども、これらの▲シリーズ動画は僕はブログ運営にもかなり応用している。
特に、上記動画にある、若き島田紳助が、
「これからの『笑い』は、『音楽』のように細分化される。」
というのは、 僕のブログ論と同じで、
「これからの『ブログ』は細分化されていく。」
というのが僕のブログ論だ。
で、それはいいとして、上記動画で、若き日の島田紳助が、吉本のお笑いコンテストで3位になった時のエピソードが出てくる。
「3位の花束を審査員に投げつけて『おまえら間違うてる!』言うて。」
「1位をとって感動して泣いている先輩に『ボケコラァ!なに泣いてんねんアホゥ!泣くなアホゥ!』言うてね。」
「NHKの奴ら(審査員)に『お前らがこだま・ひびきを一番て思うならそれでええ。俺は俺が1番やということを証明したらぁ!』言うて。」
この島田紳助は、めちゃくちゃ『自己評価』が高い人間なんだろうと思う。
でも、逆に、自己評価が高いからこそ、自分にも厳しく、
「自分が自分を『優秀だ』と納得させるために店を出している。」
とも語っている。
ダウンタウン松本人志にも同じようなエピソードがあって、
「(若手の漫才師は)ようみんな大人やなって思うわ。みんな(漫才コンクールで)負けても『はぁ』言うてすんでるやろ。俺はもうブチギレしてたもん。審査員に『おまえシバいたろか?』言うてたもん。生放送で(笑)」
「途中で帰ったもん。結果発表聞く前に。」
と言っている。
www.youtube.com▲『放送室』第365回の25:50くらい。
結局、島田紳助も松本人志も、僕は同じ人種だと思っていて、
「『自己評価』が『審査員という他者評価』よりも高い」
人種なんだと思う。
軍人で言うと、秋山好古(超ミニマリスト!)の弟である▼秋山真之もそうで、、、
海軍士官学校の先輩と口論になり、その後、先輩が、
「やっぱり、お前のほうが正しいわ。」
と言って来ても、
「そりゃあ、そうでしょう。」
で終わりw
「自己評価」が高過ぎるwww
当然、日露戦争の日本海海戦においては、自分が戦略を立てた日本海軍が勝つのは当然だと思っていた。
なんせ、
「自分が1日怠けると、日本が1日遅れる。」
と、公言していた人間ですから。
また、僕と同郷(兵庫県姫路市)で、僕が死ぬほど大好きな軍師・黒田官兵衛(超ミニマリスト!)の座右の銘は、
「人に媚びず、富貴を望まず。」
だ。
もちろん、僕はこの言葉も大好きなんだけれども、
この言葉って、ものすごく『自己評価』が高い言葉なんじゃないかな?
って思う。
だって、他人に媚びない時点で『他者評価』を全く気にしてないし、『富貴』を望んでない時点で、やはり、金銭を評価基準にしている世間一般の『他者評価』も気にしていないわけで。
▼いつもの。
ちなみに、前述のダウンタウン松本人志も、黒田官兵衛の大ファンww
▼必死に黒田官兵衛を語る松本人志動画www
www.youtube.comちなみに、僕に黒田官兵衛を語らせたら▲これと同じ状態になりますwww
で、この黒田官兵衛の悲哀を歌ったのが武田鉄也の▼『二流の人』。
www.youtube.com
▲『その時歴史は動いた』の黒田官兵衛特集。
ちなみにこの番組のキャスターである松平さんが「歴史上、一番大好きな人物」も黒田官兵衛です。
この黒田官兵衛、故郷の播磨が「織田方か?毛利方か?」に分かれた時(加古川評定)、毛利方についた御着城の君主・小寺家を織田方に説得しようとして(官兵衛は織田信長が天下を取ると確信していた)、家臣にそれを止められます。
「命が危ない!」
と。
その時、官兵衛が発した言葉が、
「義にあたりて、命を惜しむべきにあらず。」
と。
これ、めちゃくちゃ『自己評価』が高い人間の発言だと僕は思います。
「自分を貫く」
ために、命さえ、惜しまない、と。
そして、時は流れ、天下分け目の関ヶ原。
官兵衛の健闘むなしく、惜しくも天下を取った家康に、
「望みのままの領地を与えよう。」
と。
それについて、官兵衛は、
「年老いた私には功名富貴の望みはございません。」
と答えた。
これは僕から言わせれば、若干、フェイクが入っていて、官兵衛は若い時から功名富貴の望みはなかったと思う。
なぜなら『自己評価』で生きていたから。
※上記、すべて司馬史観です。
※司馬遼太郎は貝原益軒史観です。
『自己評価』で生きている僕の生き方もちょっと黒田官兵衛に似ていて、僕の理想はアクマイト光線が効かないレベルの▼『無欲すぎる問題児』だ。
無欲な人には『アクマイト光線』が効かない。「無欲すぎる問題児」が僕の理想。 - A1理論はミニマリスト
ステーブ・ジョブズ(超ミニマリスト)も、僕は『自己評価』が高い人間だと思っていて、iPhoneを発明して(実際に発明したのはウォズニアック)脚光を浴びた時、
「この発明はいずれ誰かがしていた。自分はそれを一番最初にしただけ。」
と、『自分』をシビアに見ています。
そんなジョブズが残した言葉は、
「『自分の人生』を生きろ!」
という言葉だ。
そんな時、思い出すのが、僕が大好きな、ミニマリスト・メグさんの▼この書評記事、
【書評】禅 シンプル生活のすすめ~心・体・部屋は繋がっている。 - ミニマリストは世界を変える!
「自分らしくなく過ごした時間は、空っぽ」の言葉が響きました。
昨日と同じ作業をするだけの仕事、会いたくない人と会っている時間を過ごしたランチタイム、付き合いの飲み会・・自分の意思で選んでいない一日は、最高に無駄な気がします。
どんな時間を過ごしても、明日は来るし、その積み重ねで寿命を迎えてしまう。だったら、自分らしく悔いの無い時間をすごしたほうが、絶対良いにきまってる。
空っぽの時間を積み上げて90歳まで生きて幸せでしょうか?
20~65歳の45年を、フルタイム+残業までして、会社でなんとなく過ごしてしまったら、その時間は自分らしいでしょうか?66歳から、第二の人生・・それで悔いは無いの?
そもそもの寿命の長さより、どれだけ意味のある時間を過ごせたか?の方が大切ではないでしょうか。
「自分らしくなく過ごした時間は、空っぽ」なんです。
つまりは『自己評価』で生きなかった時間は『空っぽの時間』なんです。
逆に言うと、
『自己評価』で生きた人生時間だけがジョブズの言う『自分の人生』
だと、僕は思います。
僕が、親友のエスタークに、
「この前、派遣会社の人間の対応に納得いかずに、全力でドアを蹴って、仕事辞めたった!!」
と言った時、
「おまえは昔からようケンカしとった。」
と言われた。
確かに、田無寮の内外で、よくケンカをしていた。
でも、「ケンカをする」ってことは、それだけ『自分』を持っているということだし、『自分』を持っている人は、それだけ『自己評価』が高い人間なんじゃないかって思う。
で、そういう人間は、いわゆる『問題児』なんだけれども、僕は
「問題を起こす人ほど、成功する。」
と▼思っている。
問題を起こす人が成功する―「トラブル」を「成長」に変える50の方法 (PHP文庫)
- 作者: 中谷彰宏
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2001/02
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (1件) を見る
▲この本、超面白いよ!!
というわけで、僕から言わせれば、
「『自己評価』で生きている時間こそが、真に『自分の人生』を生きている時間だ。」
と考えている。
なので、『他人の評価』なんて、無視はしないものの、基本的に断捨離だ!
自分で自分をマキシマムに評価し、それに従順に生きた者が、
『自分の人生』
を生きれるんじゃないかな?
って、最近、よく思う。