※ちきりんさんをリスペクトしています。
今日、ふと思ったこと。
ちきりんの言う『生産性が高い人』って、結局、努力してそうなるのではなくって、元々、そういう才能がある人なんじゃないかと思ってきた。
ストレングスファインダーで言うと『最上志向』かな、と思う。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2016年12月6日
『最上志向』がある人に『生産性』と言っても、
「いや、そんなのわかってるよ。」
だろうし、『最上志向』がない人に『生産性』と言っても、
「はぁ、そんなもんかねぇ。」
で終了なんじゃないかな?なので、『生産性』の議論は『生産性』が低い(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2016年12月6日
『生産性』の低い人たちで多数決をとっても、『生産性』の低い人が選ばれるだけだ。
なので、僕は民主主義が嫌いだ(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2016年12月6日
(最後の▲これは超蛇足ww)
ちきりんさん(や伊賀さん)が、
「人生の『生産性』を上げよう!!」
って言うのは、僕にはものすごくわかる!!
いや、もう、めっちゃわかる!!
なので、先週▼リスペクト記事を書いた!
ちきりん著『自分の時間を取り戻そう』はコスパ最強人生の指南書!しかもKindle版なら損じゃーねぇ!! - A1理論はミニマリスト
けど、よく考えたら、、、、
『最上志向』な人は、ハナっから『生産性』重視で生きてるから、
「なにを今さら?」
になるんじゃないかな???
なぜなら、『最上志向』は、雇われ人の国である▼『ペンギンの国』では仇になる才能だから。
ブロガーのストレングス・ファインダー結果に『最上志向』が多いのは「ペンギンの国」ではそれが仇になってるからなんじゃないかな?絵本『ペンギンの国のクジャク』 - A1理論はミニマリスト
日々、PDCAサイクルを回しまくる『最上志向』な人たちにとって、『生産性』こそがすべてであって、
「それ以外になにがある???」
なんじゃないかな?
そういう人たちは、たぶん、
「人生は有限」
という▼ことを知ってるんだと思う。
▼『メメント・モリ』ってやつです。
で、それって、
僕はひとつの『才能』だと思うんですよね。
「『生産性』を上げることができる能力者」。
伊賀泰代さん著『生産性』のしくみを個人の人生に応用して、自分の時間を取り戻そう! - A1理論はミニマリスト
で、その『才能』がない人に無理くり、力ずくで『生産性』を上げようとしても、たぶん、あんまりうまく行かない気がする。
どれだけ『生産性』の重要性を説いても、ずっとニコニコしてたり、話を逸らしたり、『出来ない理由』を探し始めたり。
(ちなみに『出来ない理由』の相場は、おカネがない、時間がない、親のせいで今住んでる地方から出れない等w)
それを無理やりパワーで『生産性』を上げようとすると良からぬことが起きると思う。
チープトリックが『パワー』で露伴の背中にくっついていたのではなく、『能力』でくっていていたのと同様で、アクト3が無理やり『パワー』で引っぺがそうとしても、露伴の背中が裂けるだけの結果に終わるだけなのだ。
(な、なにを言っているのかわからないと思うが、お、俺もなにを言っているのかわからない。。。)
ただ、僕は、
『生産性』や『最上志向』がない人も、それはそれで否定されるべきではない
と思っている。
その人にも別の才能があるわけであり、それが、「資本主義社会ではあんまり評価されない才能」だったってだけで、それに対して落ち込んだり、バカにしたりする権利は何人にもない。
『資本主義』自体が、ほんのここ200年ほど、人類の間で流行っているだけの宗教であって、それ以上でもそれ以下でもない。
いや、そもそも▼人類自体が存在意義がないのだw
人類自体が存在意義ないんだから、普通に生きてもダメに生きてもどっちでもいいと思う。 - A1理論はミニマリスト
なので、
『生産性』がある人は、単なる『そういう人』というだけ
だと思う。
自分の生まれ持った『才能』を存分に発揮して生きることこそが、僕は一番、『自然体な人生』であって、『上善』(最も良いこと)は『水の如く』流れるままに生きて行くことだと考えている。
『心のままに生きて行けばいいさ』と、君は笑った、だろう。
(「だろう」かいっ!w)
というわけで、ちきりんさんの作成した▼この図。
(ていうか、右上の「企業家」の絵、孫じゃーね?)
僕は、
実際には▼こうなると思います。
いくら、ちきりんさんに、
「こっちよ!」
と誘われても、
「『生産性』を上げることができる才能」
を持たない一般人は、
「『生産性』を上げることができる才能」の有無を分ける『鉄のカーテン』の向こう側には行けず、結局、低生産性の「メリハリ型」に落ち着くんじゃないかな?
低生産性の「メリハリ型」な生き方は、本でいうと▼こんな感じです。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
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けど、これって、僕は、
「幸せな時代」
だと思っている。
だって、ちきりんの言う「自立不可能」には陥ってないから。
というか、この国の今の時代に生きている以上、餓死する確率は極めて低いのだから、「ギリギリ死なない程度」に生きて行くのはそんなに難しくないと僕は思います。
※個人の意見です。
で、僕が、
「幸せな時代」
と思うのは、20世紀の頃は、たぶん▼こんな感じで、縦にも『鉄のカーテン』が敷かれていて、4者間の行き来は極めて困難だったと思う。
特に、低生産性の「全投入型」と「メリハリ型」の壁は厚く、低生産性「全投入型」人間からしてみれば、低生産性「メリハリ型」人間は、なんか、
「あっちの世界の人間」
と思われていたと僕は思う。
ヒッピー・コミューンはじめ「あっちの世界の人間」も、コミュニティ的にはやはり閉じていて、
「近寄りがたい空間」
になってたんじゃないかな?
って思う。
けど、
今はネットやSNSのチカラもあり、低生産性「メリハリ型」の世界はものすごくオープンだと思う。
例えば、facebookページでYADOKARIサポーターズや上諏訪リビセンサポーターズも募集しているし、ミニマリストのオフ会も盛んだ。
東京日本橋・小伝馬町に▼「ミニマリスト・バー」もできた。
東京日本橋にミニマリスト・バーが誕生!まるで毎日小屋フェス!近くに複合型ゲストハウスも! - A1理論はミニマリスト
シェアハウスはもう東京都内にかなりあるし、ゲストハウスのイベントも誰でも参加できる。
低生産性「メリハリ型」の門戸は広く世界に開かれているのだ。
それどころか、ポートランドのリビルディングセンター本家の目標は売り上げを上げることではなく、「コミュニティを作ること」だったりする。
雑誌でいうと▼ソトコト的世界だ。
そして、
逆に、低生産性「全投入型」の人間はもう限界に近くなっている
と僕は思う。
20世紀の頃は長時間労働でもそれに見合う給与がもらえたし、もらえなかったら、労働組合によるストライキやベアアップを要求できた。
けど、今は労働組合もないし、さらに派遣社員は給与の数割を派遣会社にピンハネされる。
その割に、給与は一向に上がらない。
で、組織の中でそれだけ『生産性』を高めても評価されない。
そして雇用者は20世紀と同じ水準かそれ以上の長時間労働を求める。
その状況に、
「やってられるか!!」
と思った人は、
たとえ『生産性』をあげる才能がなくても、生きていける時代になった
と、僕は思っている。
それは、基本的に、
「幸せな時代」
だと僕は思う。
で、なんでそういう時代になったのかと考えると、僕は、
「資本主義が『カンスト』してきた」
と考えている。
資本主義が成熟してきたから、死に物狂いで稼がなくても、ミニマリスト生活や地方で空き家再生しながら生きていくだけで、生活はできるようになったんじゃないかな?
ってポジティブに考えています。
というわけで、
『生産性』を上げる『才能』がなくたって生きていけるし、そんなのあんまり気にしなくてもいいよ!!
ってことで!!