ほとんどの人は、自分の『能力』『才能』に気づかないまま、一生を終える。
なぜか?
たぶん、
『能力』『才能』は当人に気づかれにくい特性を持つ
からなんじゃないかな??
鳥が簡単に空を飛んだり、魚が簡単に海を泳いだり、ネコが簡単にネズミを捕まえたり、人間が簡単にペンで字を書いて意思疎通するように。
当人にはあまりにも、子供の頃から慣れ親しんでる『日常』なので、その『能力』『才能』に気づけないんだと僕は思う。
確かに、「自分」しかこの世にいないなら、それは『能力』でも『才能』でもない。
しかし、「自分以外の人たち」がこの世に存在する以上、▼その中央値からの偏差の値で『能力』『才能』は、決まる、と僕は思っている。
『才能』とは、「自分以外の人たち」の中央値からの偏差の値で決まると思う。 - A1理論はミニマリスト
けど、人は往々にして、その「中央値からの偏差の値」を見誤る。
ちきりんは言う、
「なんで、みんな『生産性』を上げようとしないの?」
「なんで、みんな長時間労働をし続けるの?」
と。
ちきりん著『自分の時間を取り戻そう』はコスパ最強人生の指南書!しかもKindle版なら損じゃーねぇ!! - A1理論はミニマリスト
もしかしたら、彼女自身も無意識のうちにこう思ってるのかもしれない、
「なんで、みんな地方の公立小中高から現役で一橋大学法学部に合格しないの?」
「なんで、みんな外資系企業で一度もクビにならずに10年以上働けないの?」
「なんで、みんな仕事の片手間に書いたブログで出版できないの?」
「なんで、みんなアフィリエイトほとんどなしで『ブログ飯』できないの?」
と。
※個人の意見です
もしそうなら、僕はこう思う、
「みんなが出来ないのではなくて、あなたが、
『生産性』を高めることができる『能力者』
なのだ!」
と!
『生産性』の議論は「生産性が低い」んじゃないかな?『生産性』って『才能』のひとつな気がする。 - A1理論はミニマリスト
『生産性』というレアな能力者はその能力を社会に還元するべき!でもそのスキームは20世紀と21世紀では異なると僕は思う! - A1理論はミニマリスト
それは『頑張り』で到達できる域ではない。
『中央値』からの偏差の値がかけ離れている『能力』なのだ!
超サイヤ人が天下一武道会に出るようなもので、『能力者』が常人と争うなんて『反則』のレベルに近いんだw
ボクシングの世界チャンピオンがストリートファイトするようなものだ。
『能力者』と、『中央値』付近で生きている人(常人)との議論は分けて行われるべきだと僕は思う。
超サイヤ人と地球人の天下一武道会は分けて行われるべきなのだww
小林よしのりが、
「日本人は『個の連帯』を目指すべき!」
と言っても、大多数の日本人からは、
「はぁ、そんなもんですかいのぅ。」
と思われるのと同じだ。
それは小林よしのりが、『個』を確立する、という自分の『能力』に気づいていないから、つまり『中央値』との偏差に気づいていないからだと僕は思う。
(というか、この例え話、わかる人間おるんかいなw)
松本人志も、
「俺は若い頃、『オリジナリティ』がない人間は『悪』やと思っていた。」
と▼言っている。
松本人志は「オリジナリティ」な笑いを生産できる『能力者』であり、若い頃はそれが自分特有の『能力』だと気づかなかった。 / “【ラジオ】第5回 松本人志の放送室” https://t.co/AZxrFND6RC
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2016年12月23日
若い頃の松本人志は、
『オリジナリティ』を確立するという『能力』は、誰でも『頑張り』で到達できる能力であり、『頑張』らない人間は「怠けている」
と思っていたんだと思う。
が、30代後半になり、それは自分特有の『能力』だということに気づく。
それが紳助くらいの歳になってくると、自分の『能力』を認識し、▼その『使い方』まで理解してくるんだろうなぁ。
自分の『能力』『才能』という「暴れ馬」を乗りこなすカウボーイのように。
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けど、上記の人たちは『能力』に気づいていないけれど、周囲から評価はされた。
なので、結果的に、遅かれ早かれ、『能力』『才能』に気づくことができる・できたんじゃないかな?
それは、周囲から評価されることで、『中央値』からの偏差の値を実感できたから。
でも、
多くの人間は、人生の最期まで、自分の『能力』『才能』に気づかずに一生を終えるんじゃないかな?
って思う。
例えば、僕の高校時代の地元の友達で、やたら語学堪能な奴がいた。
英語は高校からペラペラで、英語のテストはいつも時間が余ってしまって暇そうにしてた。
さらに、20代で中国語を覚え、もちろん、すぐにペラペラに。
どれくらいペラペラかというと、中国から間違ってかかってきたskypeに即座で中国語で答え、最後に、中国語で、
「あ、ゴメン!俺、日本人やった!!ww」
というと、
「またまたぁwww」
と言われ、中国人に信じてもらえない始末w
中国どころか、一度も海外に行ったこともないのに、である。
さらに、語学が出来る人によくある、
「語学しか出来ない人」
「言葉はしゃべれるけど話の内容が面白くない人」
ではなくて、本をよく読むので知識、特に歴史の知識に長けていて、話をしていても非常に面白く、さらに所々にジョジョギャグやダイの大冒険ネタも入れてくるww
で、そんな彼がなにをやっているかというと、生まれた町から出ずに、ほぼ最低時給で飲食店でバイトをやってるw
彼は、自分の『能力』に気づいていないのだ。
なので、語学とか話術とかは『誰にでもできること』『それで食っていくなんてできない』と思い込んでいて、今日もほぼ最低時給で、DQN店長に怒鳴られながら日本語オンリーかつ、ほぼ会話なしの仕事をしているのだろう。
「なんでこんなことになるんだろう?」
と考えた時、それは、結局、
「20世紀が『プロダクトの生産性』を重視し過ぎた世紀で、21世紀初頭の我々は、その世紀からの転換についていけていない。」
からなんじゃないかな?
って思う。
先ほどの彼も、地方都市・工場地帯で生まれ育っていたので、
仕事=理系
だと完全に思い込んでいる。
つまり、
「プロダクトの『生産性』」
を上げることにだけに意味があり、それこそが人間の存在意義だと思い込んでいる。
僕から言わせれば、
「それは20世紀を引きずっている」
と思う。
プロダクトが未熟で、そのプロダクトを作る機械も未熟だった20世紀は、プロダクトも機械も単純明快で、人間が手を動かして『頑張れ』ば、多くの人間に作れたし、しかも、マーケットニーズは広大で、作れば作るほど売れた。
なので、ぶっちゃけ、
『頑張り』『努力』『根性』がすべてで、『能力』『才能』なんて二の次、三の次
だったんじゃないかな?
いわば、人間自体が「プロダクトを作る機械」。
人海戦術にもほどがあるww
けど、だんだん、
プロダクトは複雑になり、さらに、そのプロダクトを作る機械も複雑化していく。
ぶっちゃけ、バカには出来ない、というか、バカが下手に働くより、いいから休んでおいてくれって感じだw
これはそのプロダクトを売る人間にも言えることで、複雑な商材を売るのは、ぶっちゃけ、バカでは出来ない。
けど、バカが口出ししてくるからアホらしくなって、働きたくなくなるw
(って、誰のことだw)
で、話を戻すと、21世紀初頭の現在、
産業革命からずっと続いてきた『資本主義』がカンストしてきたんじゃないかな?
って僕は思う。
「プロダクトの『生産性』」のカンスト。
いや、厳密にはカンストまでは至ってないのかもしれないけど、マーケットニーズはそこまでないのに、商品はどんどん複雑化していき、作る人も売る人も限られてくる。
20世紀の教育は、人間を機械化・画一化する教育だった
とも言える。
なぜか?
だって、機械が貧弱だったから、機械の代わりに人間が手や足を動かす必要があったから。
でも、機械が発達してきた21世紀、機械以下の『生産性』の人間は、働かずにニコ動でも見ててくれたほうが「世のため」なのだw
むしろ、
この時代、ネットがあるんだから、自分の『能力』『才能』を思う存分、世界に発信するべきだ!
と僕は思う。
それが儲からなかったとしても、この時代、餓死する確率は極めて低いのだから、儲かるかどうかを考えることのほうがナンセンスで20世紀を引きずっている。
人生で大事なことは、自分の『能力』『才能』に気づき、それをマキシマムに昇華させることだと僕は思う。
だって、人生一回きりなのに、
「カネを稼ぐこと」
「飯を食うこと」
だけを考えるのは、目的と手段が逆転しているじゃないか!
と僕は思う。
自分の『能力』『才能』に目覚め、それを昇華するために「飯を食う」、そのためにミニマムな「カネを稼ぐ」のが、本来の人間の生き様なんじゃないのかな?
それにしても、
『資本主義』という宗教は「プロダクトの『生産性』」を高めるという一点においては、よくできたプロトコルだ
と僕も思う。
だからこそ、ここ200年ほど、人類は驚異的な技術革新を続けたんだと思うけど、それに警笛を鳴らし続けていた人は常にいたと思う。
チャップリンの▼「モダン・タイムス」とか。
ヒッピー・ムーブメントや、カウンターカルチャー・パーマカルチャーとかも、ある意味、「プロダクトの『生産性』」のみを過剰に追及する『資本主義』に警笛を鳴らしていたのかもしれない。
もしかすると『共産主義』という思想自体も、
「20世紀の人類には早すぎた」
のかも知れない。
(ただし、マルクスは資本主義がカンストした後に、真の共産主義が訪れると言っているらしいので、そういう意味では本来のマルクス主義こそが正しいのかもしれない。△○が曲解しているだけであって。)
なので、
「プロダクトの『生産性』」がカンストしつつある21世紀初頭に、20世紀のロールモデルで生き続けるのは、自分の『能力』『才能』を潰しかけない、コスパの悪い生き方なんじゃないか?
と僕は思います。
なので、
今の時代は人生の早期に、自分の『能力』『才能』に目覚めたほうが人生コスパいいよ!
ってことで!
「でも、それってどうすればいいんだよ!?」
という人もいるだろう。
「ジョジョの『弓と矢』とか、ハンタの『水見式』みたいな、自分の『能力』を可視化できるツールなんてあるのかよ!?」
という人もいるだろう。
僕は、そういう質問には、自信を持って、
「ある!」
と答えたい!!
それは▼『ストレングス・ファインダー』!!
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いやこれ、僕も本当に自分がやるまで、
「意識の高い人がする儀式」
としてバカにしてましたわwww
もうね、統計学に基づいているから絶対的に正しい結果が出るんよね。
結局、『才能』って『中央値』からの偏差だから。
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あと、ストレングス・ファインダーだけやって本は読まないで捨てる人が多いらしいけど、個人的には本も面白い、というか、本こそじっくり読んで欲しいと思います。
(あ、僕は「ビックリマンはチョコが美味しい!捨てるな!」という派ですw)
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あ、誰も興味ないと思うけど、▼僕の診断結果も置いておきます。
で、ストレングス・ファインダーも大事ですが、個人的には、
「『好きなこと』こそ才能」
だと思っています。
前述の故郷の友達も、
「語学で『辛い』と思ったことは一度もない」
と言っていました。
松本人志も、基本的に「人を笑わすのが好き」というのが根底にあると、▼『放送室』などを聞いていて感じます。
▼松平定信も言うように、、、
『楽しき』と思うが『楽しき』の基なり。(松平定信) - A1理論はミニマリスト
『楽しい』に理由なんてなくて、『楽しい』ものは『楽しい』し、苦にならないし、何時間でも語ってられるんです。
それがどうおカネになるとか、マネタイズできるとか、そういう発想は20世紀的発想で、この飢えない時代にそんな発想をするなんて、無粋で、品がない、とさえ僕は思います。
※個人の考え方です
ただ、ちょっとしたコツを言うと、
『楽しい』を組み合わせたほうがオンリーワンに慣れてコスパいい!
と思います!
自分が『楽しい』と思えることでも、『野球』『音楽』『ゲーム』とかはあんまりにもビッグワード過ぎます。
『楽しい』を掛けあわせて、オンリーワンを狙いましょう!!
個人的には『音楽』×『ブログ』を組み合わせている星川さんとか、
「上手いな~」
って▼思います。
音楽が好きな人も、ブログが好きな人もいっぱいいますが、『音楽』×『ブログ』はなかなかいない。
そこに自分だけが狙えるブルーオーシャンがある!
僕のこのブログも、『ミニマリスト』×『ゲストハウス』で、ある意味、他に類を見ないブログになっていると思いますw
しかも下諏訪マスヤゲストハウスでブロガー・オフ会開いたり、こんな「生き方」系の記事をよく書いたりw
自分の生き方がオンリーワンになって、そんな自分にファン・フォロワーがついてくると、人生どんどん面白くなってくると僕は思います。
(それこそ、松本人志が言う『オリジナリティ』!!)
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というわけで、21世紀は、オリジナルな『能力』『才能』に気づいた人こそが、実り多き人生を送れると僕は考えています。
僕の姪っ子や甥っ子を見ていても、生まれてまもなく、テレビの存在に気づく。
そこでは母親がいつも「アンパンマン」をつけていて、それを凝視している。
最初にアンパンマンのマーチが流れ、
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!
と、続く。
これはみんな子供の頃に何度も聞いたフレーズなんだろうけど、、、
一体、その中の何人が、自分『能力』に気づいて、人生を全うするんだろう?
って、最近、僕はよく思う。
なので、普段の生活でも、自分の『能力』に沿わないことをやっていると思ったら、
「こんなのは嫌だ!」
という「大人げない大人」に、僕はなりたい!
(もうなってる?w)
なぜなら、
人生は『有限』なので。
というわけで、常に、自分の『能力』『才能』に対して、
ハングリーであれ!馬鹿であれ!
ってことで!!