【今回はこの前回・前々回の続きのような内容です】
https://a1riron.com/entry/2013/10/08/103625
https://a1riron.com/entry/2013/10/13/160723
前回、前々回は、
古典的なその分野のモジュール群+個人モジュール群→個人・法人の『B1キーワード』
という公式のようなものを理解している人が、話が上手で、営業ができ、情報処理などの論文試験に合格し、ソーシャル疲れしないんじゃないか、と書いた。
で、ここで僕が言っている「古典的なその分野のモジュール群」というのが、結局、日本語で言うところの『文化』というものなんじゃないか、と思う。
(「業界の文化」とか「企業文化」とも言ったりもする、めちゃくちゃ広い意味での「文化」だ。)
人間という脳みそが大きいだけしかとりえのない生物が、脳内で情報処理を行った「結果」の産物である外部データの蓄積が『文化』というプロトコルなんじゃないか、と思う。
人間は他の生物と比較して身体能力がはるかに劣る分、この「『文化』を蓄積して生きる」というニッチな戦略で弱肉強食の生物社会で生き残っているのだろう。
人間は日々、この『文化』を「更新」しながら生きている、とも言えると思う。
英語の「culture」はラテン語で「耕す」という意味の「colere」から来ているというが、まさに先人が耕した畑に種をまき続けるのが人間の「進化」なのだろう。
で、その『文化』を「更新」していける個体は、自分自身の『A1キーワード』からその『文化』に関する個人モジュール群を生成し、対象マーケットの『B1キーワード』にマッチングさせる能力を持った個体なんじゃないだろうか?
僕が『A1能力』と呼んでいる能力もまさしくこの能力なんじゃないだろうか?
日本の能や茶道、武道全般で言われる『守破離』という思想もこれをそのまま言っている気がする。
『守破離』とは、師匠の型を学ぶ『守』、そこから自分に合った型を作る『破』、その型に立脚して自立する『離』、から成っている。
僕の言葉で言うと、
その分野の古典的なモジュール群を脳内にインストールするのが『守』。
そこから個人の『A1キーワード』に沿った個人モジュール群を生成するのが『破』。
そのふたつを自由自在に使いこなし、対象となるマーケットの『B1キーワード』にマッチングする作業が『離』。
と言えると思う。
けど、必ずしもすべての個体が自分自身の『A1キーワード』から個人モジュール群を生成できるとは限らない。
たぶん、生成できる個体のほうが少ないと思う。もしかしたら話の下手な人、営業の下手な人、試験に落ちる人、ソーシャル疲れする人のほうが多数派なのかもしれない。
上の三段階で言うと、
古典的なモジュール群をインストールできない人(『守』ができない人)
個人モジュール群を生成できない人(『破』ができない人)
『B1キーワード』マッチング能力のない人(『離』ができない人)
の総数のほうが、この三段階をすべてできる人(『A1能力』のある人)よりも多いのかもしれない。
そう言えば、
「英語ができる人には二種類いる」
という動画を昔見たことがある。
その動画では、
・英語をしゃべれるだけの人
・英語を作り出せる人
の二種類がいるという。
前者は暗記したテンプレ的な文章をしゃべり続けるだけの人、このタイプの人は会話の主導権を握っている時だけは強いが、主導権を握れないと即フリーズ。
後者は英会話の主導権を握れない状況でも会話にどんどんついていける人。
なぜなら前者は「創作活動をしてないから」と、その動画の人は言っていた。
それを僕の言葉で言うと、前者は古典的なモジュール群をインストールできた「だけ」の人、後者はモジュール群を作成し『B1キーワード』にマッチングすることが可能な人なんじゃないだろうか?
(僕の基準では英語のジョークで外国人を笑わせることができれば後者だw)
考えてみれば、日本語でも学校の勉強ができただけの人(単なるガリ勉)と、そのインストールした勉強内容を自己資本に使い、さらに独自に進化・発展させられる人とで大きく大学生活やその後に差が出ると思う。
僕が大学の寮に入った時、4年生の先輩が、
「みんな1年で大学に入った時には学力的にはほとんど同じですが、4年間で確実に『差』が出ます。」
と言っていた。
その『差』について、この先輩は必ずしも「大学の勉強」のことを指してなかったと思う。
たぶん、この先輩の言いたかったのは、
「この大学に入ることで「土俵」にはもう乗れたのだから、あとは自分の目指すことや業界の『文化』からくるモジュール群をさらにインストールし、個人モジュール群を生成し、『B1キーワード』マッチング能力を高めるべきだ。でないと、寮で麻雀やゲームをしているだけの4年間になる。」
ということなんじゃないだろうか?
僕の言葉で言えば、せっかく東京にきて大学に入れたのだから、このまたとないチャンスに『A1能力』を鍛えないのは「yの無駄!」、ということになる。「守破離」で生きろ!PDCAサイクルを回せ!と言いたかったのだと思う。
おそらく、この先輩はそれまでに『A1能力』を持って卒業していった人と、持たないで卒業していった人と両方を数多く見てきたからこそこの時、この言葉が口から出たんだろう。
このように、個体によって、
古典的なその分野のモジュール群+個人モジュール群→個人・法人の『B1キーワード』
の公式を処理できないことがあることと、もう一つネックなのは悲しいかな人生のベースとなる『文化』に上流と下流があることだと思う。
『上流文化』はピアノやバイオリンなどの音楽や、絵画、書道、書籍、英会話、食事マナーやブランド知識等だ。普段の言葉使いなどにも表れたりする。「文化資本」と言われることもある。
『下流文化』はパチンコ、競馬、車、バイク、釣り、アウトドア、祭り、野球、サッカー、テレビ、ゲーム、マンガ、夜遊び、B級グルメ食べ歩き等。「サブカルチャー」と呼ばれることもある。
(ただし、人によっては子供の頃からの野球・サッカー・スイミング・スキー・ボーイスカウト等は『上流文化』にカテゴライズしたりする。いわゆる「習い事」系ですな)
で、この『上流文化』のモジュール群をインストールできるかどうかは、結局、生まれた家で決まってしまう。つまり『ペアレンツ・カード』次第だ。
どれだけ個人モジュール群を生成する能力があっても(脳内の情報処理能力が高くても)『下流文化』家庭に生まれたら、そもそも古典的なモジュール群をインストールする機会がない。
だから僕は人間は4種類の『文化クラスタ』に分類できると思う。
『上流文化』家庭に生まれ、個人モジュール生成能力のある『エリート・クラスタ』
『上流文化』家庭に生まれ、個人モジュール生成能力のない『ボンボン・クラスタ』
『下流文化』家庭に生まれ、個人モジュール生成能力のある『デッドオアアライブ・クラスタ』
『下流文化』家庭に生まれ、個人モジュール生成能力のない『庶民・クラスタ』
よく「上流」と「下流」でしか世の中を見ない人がいるが、僕はこの4種類のクラスタが存在していると思う。
で、一般的には同じクラスタの人間どうしが(A1,B1)関係になりやすい。
結婚も基本的に同じクラスタどうしで結びつく確率が高いが、異なるクラスタどうしがたまたま何らかの『A1キーワード』で結びついちゃうと「ロミオとジュリエット」や「タイタニック」みたいになる。
この4種類のクラスタと、そのクラスタ内やクラスタ間で複雑に『A1キーワード』が絡み合っているのが「人間社会」なんじゃないだろうか?
で、ソーシャルメディア上では『A1キーワード』『A2キーワード』、そしてその関係の強弱が「どれくらいのもの」なのかまでは可視化できないから、その積み重なりが「疲れ」となって肉体に表層化するんじゃないだろうか?
それが僕の『A1理論』!
https://a1riron.com/entry/2013/08/23/213129
次回は『デッドオアアライブ・クラスタ』の人たちについて考察してみようと思います。