常識と運命を蹴り上げてますね!御木本さん!!
さすが、明治天皇に、
「世界中の女性の首を真珠でしめてご覧に入れます。」
と言ったり、93歳の時に行幸した昭和天皇に、
「あんた、よく来てくれました。ありがとう、ありがとう。」
と言っただけのことはある!!
志摩の海にかけた夢―真珠づくりに一生をささげた御木本幸吉 (PHPこころのノンフィクション (29))
- 作者: 笠原秀,上総潮
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 1985/09
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タイトルのこの言葉はまだ続きます。
「普通の人間が考えたり、したりすることをしていては、普通の人間にさえなれない。」
うーん、痛快ですねぇ!
『常識』通りに生きていたら、「普通の人間」にさえなれない、と。
すごいですねぇ、そこまで言うか。
しかし、本当にそうかもしれません。
『常識』って、基本的に「過去」をベースに作られていると思うんですよね。
で、「過去」をベースに作られているだけあって、
常にバージョンが古い。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
と、アインシュタインは言いました。
アインシュタインの英語の名言・格言集。英文と和訳! | 癒しツアー
と言うことは、
現在38歳の僕の『常識』は、20年以上前のバージョンだ。
ということができると思う。
父親は68歳ですが、そう考えると、父親の『常識』は50年以上前のバージョンのアプリを使っている、とも言えます。
(まぁ、うちの父親はそもそも『常識』自体、持ち合わせてない気がしますが。。。)
団塊世代の『常識』は「昭和の常識」であり、
現在、30代の人の『常識』は「20世紀の常識」だということになります。
御木本幸吉の言う「ただの人間」「普通の人間」とは、この「前世代の常識」を引きずっている人のことを言うのではないでしょうか?
御木本幸吉のwikipediaを見る限り、家が自営業、祖父も自営業、という『自営業家庭』に生まれたことがうかがえます。
僕も家が自営業、祖父も自営業の『自営業家庭』に生まれたからこの言葉は良くわかる。
前提とする考え方が『武士』というサラリーマンではなく、『商売人』なのだ。
『商売』をする限り、常に「先」を読んで動かないといけない。
何十年も前の『常識』に固執していたのでは、『普通の人間』にさえなれない、と、確かに僕も思う。
ここで言う『普通の人間』とは、「普通のサラリーマン」ではなく、「並みの商売人」という意味なんじゃないかな、と僕は解釈する。
戦国時代の軍師・黒田官兵衛も、純粋な武士ではなく、祖父は黒田家の秘薬の「目薬」で一代で播磨の地に財を築いた『商売人出身の武士』だ。
しかも、元々の播磨の人間でもない。
なので、代々山陽地域の人間であり、保守的な播州人は山陽の盟主・毛利につくことを説いたが、官兵衛は先を見通し、岐阜の織田方につくことを説いた。
もちろん、それには播州でかなりのハレーションがあり、保守的な播磨人には、
「目薬屋」
と▼揶揄され続けます。
けど、結局は、その「目薬屋」が天下を動かした。
「目薬屋」と揶揄していた播磨武士達の多くは頼みの綱の毛利に見捨てられ、滅んだ。
それはおそらく、時代が『戦国の世』であり、室町時代の「常識」は既に通用しない世になっていたからだと思う。
御木本幸吉も、幕末までは『うどん屋のせがれ』でしかなかった。
そんな『うどん屋のせがれ』が、世界中の女性の首に真珠のネックレスをかけ、天皇を「あんた」呼ばわりできるようになったのも、過去をベースにした『常識』に囚われず、常に「先」を見通して動いていたからなんじゃないかな、と、僕は思います。
世の中がごんごらごんごらと動いている時代は、過去の『常識』に囚われていると常に命とりの危険がつきまとう。
御木本幸吉は、それを「普通の人間にさえなれない」と表現したのかもしれない。
もしかしたら、御木本幸吉は、中国の孫子のように、
「過去を捨て、未来を予測して動け。」
▼と言いたかったのかもしれない。
算多きは勝ち、算少なきは散る。ましてや算無きおや。(孫子) - A1理論はミニマリスト
あ、こんな常識からかけ離れた記事が『バズってどうする!?』