世の中を知り尽くしてますね、ミルさん!
さすが、人妻との『親密な交友関係』でうつ状態の危機を乗り切っただけのことはある!
しかし、この言葉、深いですよねー。
『良きもの』は独創性の結果だと。
『良きもの』には独創性があると。
確かにそんな気がします。
オリジナリティあるものがすべて『良きもの』ではないにしろ、『良きもの』にはオリジナリティがあるような気がします。
そして『良くないもの』にはオリジナリティがないような気がします。
パチモノ、バクり商品。
『フォロワー戦略』といえば聞こえはいいし、パチモノはミニマムな労力で売ることはできるでしょう。
でも売れたからと言って、それが『良きもの』とは限らない。
『良きもの』の定義は難しいですが、少なくとも「売れているもの」が『良きもの』とは限らないと思います。
ということは『稼いでいる人』が、必ずしも『良きもの』であるとも限らない。
(いやもちろん『良きもの』である可能性も高いとは思いますよ、でも必ずしも『良きもの』ではないと思います。)
じゃあ、独創性があるもの、オリジナリティがあるものって一体、何なんでしょう?
これはやっぱり『自分らしさ』を表現したものなんじゃないかな?と思います。
『自分らしい物』=『独創性のあるもの』
それが『良きもの』 であるかはわからないし、それが『売れるもの』であるかはさらにわからない。
でも!少なくとも「借り物」ではない。
だから『良きもの』になり得る可能性は十分にありえる。
たとえ現時点で『良きもの』でなっていなかったとしても、磨き続けることで『良きもの』になるのかもしれない。
もしかしたら、過去の芸術作品はすべて、自分の独創性を磨き上げた結果、評価されるものになったのかもしれない。ダイヤの原石を磨き上げたように。
そう考えると、借り物の人生を生きている限り、少なくとも独創性ある生き方は出来てないわけで、独創性ある生き方が出来てない限り、『良きもの』は作れないのかも知れない。
いや、『良きもの』を特に作りたくない人生ならそれはそれでいいと思う。
でも『良きもの』を作りたいと思っているなら、『他人の人生』を生きている間の時間は全く無駄になるし、残りの人生時間はどんどん減っていくと僕は思う。
なんだか、なにを言ってるのかわからなくなってきたけど、独創性のある生き方をしている人の顔は輝いているし、輝いている人の作るものは『評価』される可能性が高い。
そしてこの時代、『評価』がシェアされていけば、それは『いいもの』として後世にまで残るんじゃないかな?
で、この記事が『良きもの』だからと言って、『バズってどうする!?』