まさに神に近づいていますね!ゴッホさん!!(神と神!!)
さすが、共同生活をしていたゴーギャンに、
「ヴァンサン〔ゴッホ〕と私は概して意見が合うことがほとんどない、ことに絵ではそうだ。……彼は私の絵がとても好きなのだが、私が描いていると、いつも、ここも、あそこも、と間違いを見つけ出す。……色彩の見地から言うと、彼はモンティセリの絵のような厚塗りのめくらめっぽうをよしとするが、私の方はこねくり回す手法が我慢ならない、などなど。」
と不満を述べられただけのことはある!!
あと、生きている時は1枚しか絵が売れませんでしたww
ちなみに、日本にゴッホを本格的に紹介したのは▼あの「武者小路」さんらしいです!
勉強、勉強、勉強のみが奇跡を生む。(武者小路実篤) - A1理論はミニマリスト
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しかし、タイトルの言葉、深いですねー。
ここでいう『神』っていうのはキリストとかの狭い意味での神ではないと思いますね〜。
マホメットや仏さん、日本にいる八百万の神とか、聖人と呼ばれるすべての人達のことを指すんじゃないでしょうか?
その神を知る方法は、聖書を読んだり、コーランを唱えたり、読経したりすることではなく、
「多くのものを愛する」
ことなんだ、と、ゴッホさんは言いたかったのでは???
まさに「汝の敵を愛せよ」ですねぇ。
『喜捨』の精神。
飢えた人のためにうさぎが火に飛び込むようなものです。
けど、
「言うは易し、行うは難し」
とは良く言ったもので、「多くのものを愛すること」を実行出来てる人は、僕も含めて、かなり少ない気がします。
まぁ、だからこそ、聖書なり、コーランなり、般若心経なりに、繰り返し書かれてるんでしょうけど。
僕の言葉で言うと、
すべてのものを認めることが出来る人
こそが、「本当に心の豊かな人」なんじゃないかな?って思います。
それが、
『そこに存在していること』
は事実であり、その存在を否定する意味がない。
『存在』を否定することから、すべての悲劇が始まるのでは?
と思います。
「それがそこにあること。」
その事実を愛することが出来る人間こそが、「神」を知りうることができる人間だ、
と、ゴッホは言いたかったんじゃないかな?
すべてを否定して生きても80年。
すべてを肯定して生きても80年。
どうせ生きるなら、すべてのものを肯定して生きる人生のほうが、一番、豊かな人生だと、僕は思います。
犯罪者も、犯罪を犯したこと自体は罪に問われるべきだとは思いますが、だからと言って、その人が他人に愛される権利を奪うことはそれ以上の犯罪なんじゃないかな?
いや、そもそも、
犯罪者は、愛されなかったからこそ、犯罪に走ったんじゃないかな?
と、その点について、自分の耳を切り落としたゴッホさんと、あの世で話してみたいですねぇ。
愛のままに、わがままに!!ww
あ、こんな、まるで「愛されたがり」の泡沫ブロガーの記事が『バズってどうする!?』