悟ってますね!キケロさん!
キケロの思想は、当時ローマで主流だった『ストア哲学』にローマの伝統的価値観を取り込んだ折衷的なものとして知られているらしいです。
たとえば、『義務について』では、ストアの義務論を、
「賢人にのみ可能な善の実践としての義務」
と、
「一般人にも可能な日常好ましいことの実践としての義務 (officium)」
の履行に換骨奪胎している、とのこと。
ギリシャで始まった「ストア哲学」が、現在、アメリカで始まった比較的富裕層メインの『ミニマリズム』だとすると、キケロのローマでの「ストア哲学」は日本の一般人メインの『ミニマリズム』のように僕は思います。
しかし、タイトルの言葉は秀逸ですな。
今の日本の言葉で言うと、
「マインドコントロールされている人が、マインドコントロールしてくる。」
とも言えるでしょう。
今日、ひかるさんの▼この記事を読みました。
その中にあった『善悪の彼岸』(ニーチェ)という本の中にあるこの言葉。
道徳的な現象などというものは存在しない。
あるのは現象の道徳的解釈だけだ。
これはもう、本当に真理だと思います。
で、たけしさんの本のこの言葉。
もともとこの世にはさまざまな価値観の人間がいて、好き勝手にやらせたら世の中がうまくまとまらないから、人間は法律を作ったわけだ。
その法律を押し付けているんだから、それで十分だ。
人の頭の中にまで手を突っ込むようなことをしてはいけない。
もう、僕もこの通りの考え方です。
法律や条例は守る。
それはその社会に属してるんだから当たり前だわな。
法律や条例をどうしても変えたいなら「政治家になる」という手段も、25歳以上の日本人にはある。
人間が守るべきものはもうそれだけで十分だ。
何歳までにこれをしなければならない。
男だからこれをしなければならない。
長男だからこれをしなければならない。
関西人は関西メインに生きなければならない。
社会人なら免許を持っていなければならない。
公立高校の生徒は国公立大学を目指さなければならない。
大学出たら新卒で就職しなくてはいけない。
子孫を残すために結婚しないといけない。
経済を回すためにモノを買わないといけない。
バックパッカーなんてしてはいけない。
はてなブロガーはブコメ欄を閉じてはいけない。
もうね、うんざりですわ。
そんなのは『道徳』でもなんでもなく、『現象の道徳的解釈』でしかない。
俺の生き方が、いったいなんの法律に反してるっていうんだよ。
なに法の、なん条、なん項に反してるんだよww
おそらく、キケロの言うように、そういう、「人に暗示をかけようとして来る人」って、
実際はその人自身が「暗示にかかってる」んだと思います。
でその人のかけた「暗示」にかかった人が、また別の人を「暗示」にかけようとするw
もう倍々ゲームの「暗示ネズミ講」ですよw
ものすごいスピードで『道徳』のパンデミックが発生する。
その発生源は、宗教であり、王朝であり、政府であり、企業であり、新聞であり、マスコミであり、2ちゃんまとめサイトであったりするわけだ。
ハンター×ハンターに「イルミ」っていう針使いがいて、そのイルミの針が頭に刺さった人間は操り人形みたいになってしまうんだけど、『道徳』というのもこの「イルミの針」とよく似ていると思う。
いや、針に刺さった人間がまた針を刺しにいくから「イルミの針」より悪質か。
僕的に思うのは、おそらく、法律や条例だけだと、例えば「人に会った時は挨拶する」等のマナーは含まれてないから、そのマナーが必要なのはわかる。
でも、その「マナー」を勝手に『道徳的解釈』させる(暗示にかける)頭のいい人間が世の中にはいて、さらにその『道徳的解釈』をそのまま真に受ける(暗示にかかる)人間がいるから、延々と「暗示ネズミ講」が続いていくんじゃないかな、と思う。
そして、
おそらく、暗示にかかる人は、『自分の人生』を生きていない人なんじゃないかな?
『自分の人生』を生きている人なら、他人の人生なんて、どーーーでもいいし、『自分の人生』を生きるだけで頭の中はタスクで詰まってるんじゃないかな?
『自分の人生』を生きてないから、頭の中にタスクが少なく、その『隙間』を狙った頭のいい人間が暗示をかけてくる。
「イルミの針」を刺される隙がある、ともいえる。
そういう人が、『道徳』を僕に振りかざしてきた時に、僕が思うことはたった一つだけです!
おまえに「イルミの針」を刺した奴、『軍師』じゃのー!!
それだけです!!
あ、こんな『道徳』からかけ離れた「自由人」の文章が『バズってどうする!?』