先ほど、▼本日の朝に放映されたTBSあさチャン!『ミニマリスト特集』の全文書き起こし記事を書きました!
【見逃した方向け】TBSあさチャン!『ミニマリスト特集』2015/9/7(7:32~)全文書き起こししてみました! - A1理論はミニマリスト
今回はそれについて僕個人の意見を書きたいと思います!
僕は基本的に最後のほうの▼評論家のミニマリスト論に違和感があります。
ミニマリストの中にはかなり『上の世代の若い頃』と比べると消費欲が少ない人たちが多くなってると、平成不況の中、生まれ育って、経済が低成長時代に生きてますから基本的には「消費を押さえよう」というメンタリティになったんですね。
竜崎「そうですねバブルまではやっぱり、高度成長で、未来に対する展望が明るかったと思うんですよね、そういう時代はやっぱり自分に投資してさらにジャンプアップしようという気持ちだったんでしょうけども、
やっぱりこの若い方たちは、やっぱり先々の不安と言うのが一つの背景にあると思うんですよね。」
澤部「『安心を買う』と言いますかね、、、」
彼らが言いたいことをミニマムにまとめると、要は、
「年収が低いから若者はミニマリストになるんだ!」
と言っているんだと思います。
が、僕の意見を言うと、
「そもそも『年収額』と『ミニマリズム』は全く関係ない。」
『年収額』と『ミニマリズム』は全く「別の話」なんです。
『年収額』は「雇用の需給バランス」の話で、『ミニマリズム』は「ライフスタイル」の話なんです。
なので『年収額』と『ミニマリズム』は反比例も正比例もしていないんです。
理由は「全く別の話」だから。
▼アメリカのミニマリズム提唱者もミニマリストになった理由はモノが多い生活が「嫌になった」からだw
www.youtube.com
でも、その「全く別の話」をいっしょに語りたがる人がいるから、
そういう人達とミニマリスト達との会話がずっーーーーーっと平行線なんだと思います。
兼好法師、鴨長明、松尾芭蕉、黒田官兵衛、秋山好古など、 日本には昔からずーーーっと、ミニマリストはいた、と僕は考えている。
日本人は多くが仏教徒だけど、ブッダ自体もミニマリストだし、江戸時代くらいまでは日本人は多くがミニマリストでベジタリアンだったと僕は思う。
西洋でも古代ギリシャのストア派から脈々とミニマリストの系譜が続いていると僕は思っている。
▼マルクス・アウレリウスなんてローマ皇帝でミニマリストだからね!w
我々の人生は『思考』によって作られる。(マルクス・アウレリウス) - A1理論はミニマリスト
そして日本のバブル期もミニマリストがいなかったかというと、例えば「バックパッカーの教祖」とも言われる蔵前仁一は26歳で年収800万を超えていたのだが▼『あの日、僕は旅に出た』の中でこう言っている。
なんで僕はこんなところでぐずぐずしているのだろう。
すべてを失いたいという欲望
が自分の中に芽生え始めてきた。
そしてバックパック一つ背負ってアジアやアフリカへ旅に出る。
アフリカでは服を破れては縫い、破れては縫い、で、継ぎはぎだらけでずっと着ていた。
で、帰国後は「旅行人」という出版社を立ち上げる。
立ち上げた理由は、
「(旅行同人誌時代からずっと)読んでくれている人がいるから。」
だ。(ちなみにこれは僕がブログを書く理由と全く同じ)
▼沢木耕太郎のエッセイに近い『深夜特急』の主人公も「すべてを放擲して」旅に出た。
▼『大東京ビンボー生活マニュアル』の主人公コースケもおそらくかなりの高学歴なんだろうけど働かずに東京・杉並区でずっとぶらぶらミニマリズム生活をしている。
これらの生き方について是非を論じることは僕はあってもいいと思う。(無意味だとは思うけど)
しかし「事実」として、上記のように『年収』『学歴』『家柄』と、『ミニマリズム』は全くリンクしていない「全く別の話」だ。
当然、先日のミニマリストオフ会で「お金がないのでミニマリストになりました」みたいな感じの人はゼロだった。
むしろ名古屋からオフ会のためだけに夕方に新幹線で来て、次の日また仕事だから終電(終新幹線?)で日帰りで帰った人もいた。
「消費」というのは「モノを買う」ことだけを指すのではないんですよ。
▼頑張って生きている人を応援するために有料サロンに入ったり、
『モノ』より、『思い出』より、頑張って生きている人を『応援』するためにお金を使いたい。 - A1理論はミニマリスト
▼頑張ってる人が行っているクラウドファンディングのパトロンになることも「消費」だ。
CAMPFIREを利用してゲストハウス紹介サイトFootProntsのサイトリニューアルを支援してみた! - A1理論はミニマリスト
(『偉い人』にはそれがわからんのですよ。)
『ミニマリスト』は人類始まってからずーーーーーっと、一定数いたと僕は思っている。それがお金持ちか貧乏人か、身分が高い人か低い人か、後の世に有名になる人かならない人かの違いは別として。
で、彼らと現代の『ミニマリスト』との違いは僕はたった一つで、それは、
『組織化していない』『組織に囚われてない』
ことなんじゃないかな、と思う。
個人間がブログ・twitter・facebookで「ゆるくつながって」いる。
20世紀までのミニマリスト達と違って、寺に入ったり、「ストア派」と自称したり、「ヤマギシズム」に入会しなくてもいい。
もしくは世を捨て、人里離れて粗末な小屋に引きこもってミニマリズム生活しなくていい。
「ゆるいつながり」で繋がっていればいいし、疲れたらしばらく繋がらなくてもいいし、辞めてもいいし、再開してもいい。
そもそもミニマリストの定義自体があいまいだ。
けど、「それがいい」んだと僕は思う。
それは「ユースホステル」と「ゲストハウス」の関係に非常に良く似ていて、日本では20世紀に増えまくった「ユースホステル」は21世紀になって寂れまくってて、今は代わりに「ゲストハウス」が増えまくっている。
その違いは施設的にはほとんどないのだが、ひとつ大きく違うのはユースホステルは「ユースホステル協会」という組織に属さないといけないこと。
昔のユースホステルに比べたら、今のユースホステルは宿泊者間の強制的な交流イベントはほとんどなくなったけど、そもそも「組織」の中に入らないといけないのが、若い「ゲストハウス」経営者たちには窮屈なんじゃないかな、と思う。
だから「日本ゲストハウス協会」のような組織はなく、ゲストハウスどうしがなんとなくゆるーく、繋がってるし、宿泊者も広間で交流してもいいし、しなくてもいい。
また交流しても名前を名乗らなくてもいいし、逆にめちゃくちゃ仲良くなればfacebookで繋がればいい。
そんな「ゲストハウス」の「ゆるいつながり」はミニマリスト間の「ゆるいつながり」と非常に良く似ていると僕は思う。
「ミニマリスト」という言葉同様、「ゲストハウス」の定義もまたあいまいだ。
だが「それがいい」。
いや、少し大きな話になるが、そもそも「組織」「組織化」というもの自体がこの「個人の世紀」と言われる21世紀には不要、まではいかないけど、ナンセンスなのかもしれない。
「組織」にしちゃうと創始者が死んだり、制度が形骸化したりして、必ずいつかは▼「ペンギンの国化」してしまうからね。
「個性の時代」を生きる子供達に『この世界』を知ってもらうため是非読み聞かせたい絵本『ペンギンの国のクジャク』 - A1理論はミニマリスト
で、21世紀のミニマリストはそういう21世紀特有の「ゆるいつながり」で繋がっているというだけで、ミニマリスト自体は太古の昔からずっといたと思う。
そして一言で『ミニマリスト』と言ってもそのミニマリストは十人十色・千差万別でいろんなミニマリストがいたし、今もいると思う。
大きく分けたら▼「ないなり」さんの六分類にはなるんだろうと僕も思うけど、、、
あなたはどのタイプ?ミニマリストを六つのタイプに分類してみた - 物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。物を捨てきれないなりにミニマリスト目指す。
ここからさらに細分化していくだろうし、この六分類のパーセンテージも人によって違ってくる。
たとえば僕はおそらく、
機能性重視ミニマリスト:束縛を嫌うミニマリスト
=5:5
くらいだと自分では思ってる。
で、ここからは僕のケースの話をしたい。
僕のケースなので他のミニマリストさんたちとは当然、全くケースが異なります。
もちろん、他人に僕の生き方を押し付ける気は毛頭ございません!
先日、▼佐々木さんと二人で話しましたが、、、
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』の佐々木典士さんと高田馬場『スィゥミャンマー』でミニマリスト男子会、決行しました! - A1理論はミニマリスト
僕はやっぱり佐々木さんのようなモノが好きだったけどモノを捨てた「後天的ミニマリスト」ではなく、元々モノを持ちたくない▼「先天的ミニマリスト」だな、と思った。
先天的なミニマリストと後天的なミニマリストがいると思った。 - A1理論はミニマリスト
なんらかの目的があって『ミニマリスト』という手段をとるのではなく、▼『ミニマリスト』になること自体が『目的』。
僕は『ミニマリスト』になりたかったから32歳で奨学金を全額繰り上げ返済できた! - A1理論はミニマリスト
もっと言えば、この38年間、『ミニマリスト』になることだけを夢見て生きていた、とさえ思う時がある。
最終的には家さえも断捨離して、
ずーーーーーーーっと、
ゲストハウス暮らし
していきたいとさえ思っている。
モノが多いと余計にモノが増えるし、余計にモノが欲しくなる。
モノを買えばそのモノを入れるモノも買わないといけなくなるし、逆にモノを入れるモノを買うと、その中になにか入れないとガバガバで不細工になる。
これは食べ物を食べると余計にお腹が減るのと似ていると思う。
『不食』になれば、当然「食うに困らない」。
だから家がなければ、当然、モノに煩わされない。
僕的にはその完成形が「ゲストハウス暮らし」なんじゃないかな、と思っている。
これは人に勧められる生き方ではないし、僕の生き方が正しいと主張する気は毛頭ない。
が、僕はモノがないほうがポジティブに生きれるし、小さめのバックパック(しかも中身は半分、本!)一つで旅をしていた時はめちゃくちゃテンションが高かったから、たぶん「そういうやつ」なんだと思う。
▼人生自体が『ドラクエ』みたいなもので、ブログは『冒険の書』だと思っている人間なのでw
『持たない幸福論』を最速読破した「今、苦しんでいる人」へ絶対にオススメするブログを使った『ドラクエ4的人生』。 - A1理論はミニマリスト
ま、そんなやつも世の中にいるので、一概にミニマリスト論は語れないってことで、『評論家』さんたち、ひとつよろしく!