プラトンさん、いろいろわかってらっしゃるw
僕はプラトンの『イデア論』が大好きです!
生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な範型があり、イデアこそが真の実在であり、この世界は不完全な仮象の世界にすぎない。
プラトンさんの言ってること、わかるわー!
僕も『この世界』はバーチャル空間だと考えていて▼僕の肉体をスタンドのように操っている『本体』がメタレベルで存在している、という考え方ですw
ブログが人生の『主(あるじ)』、自分の体はその主に操られている忠実な『ロボット』。ブログで自分の人生を制御する! - A1理論はミニマリスト
僕がブログを書くのはアフィリエイト収入のためでも、ホットエントリーを狙うためでもなく、『本体』と交信するためであり、画面の向こうにいる『本体』(主)が構築した行動原理である『A1理論』で行動するためだ!w
ま、こんなことを書いてもほとんどの人は理解してくれないだろうけど、『イデア論』を唱えたプラトンさんならおそらく理解してくれるんじゃないかと思う!
なのでプラトンさんに「プラトニック・ラブ」です!w
(ていうか、ググったらプラトンさん『ウホッ!』じゃねえかー!w)
- 作者: R.S.ブラック,R.S. Bluck,内山勝利
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しかし、このタイトルの言葉、いいですよねー。ステキ過ぎます。
20世紀までの日本は、
『お金を消費すること』
が絶対的な『贅沢』であって、『お金』に対して『時間』を費やすことが『贅沢』とされてたんじゃないかな?
家じゅうにモノがいっぱいあって、探すのに時間をかけることが『贅沢』。
その家自体も、大きければ大きいほど『贅沢』で、お母さんは、
「こんなに家が大きいと掃除するのが大変だわ―♪」
と言いながら毎日、一日かけて大きな家を掃除することが『贅沢』。
旅行に関しても、多くの時間をいつものメンツと旅館の中だけで過ごし、旅館の1階にある温泉に入り、温泉から出てきたらいつものメンツと浴衣で宴会場でどんちゃん騒ぎするのが『贅沢』。
もちろん、いらないお土産もいっぱい買う、木彫りの熊とかww
そんな20世紀の人からしてみれば、素泊まりのゲストハウスのドミトリーなんて『貧乏』臭過ぎるし、旅行に来てまでキッチンで自炊するなんて『貧乏』臭過ぎるし、地元の人の行く公衆浴場や、地元の人が行く安い定食屋に行くなんて『貧乏』臭過ぎるし、ましてや、ゲストハウスのバーで、今日知り合ったばかりの名前も知らない人とお酒を飲むなんて「ありえない行為」だったんじゃないかな、と思う。
でも既に紀元前400年くらいに、プラトンは言っていた、
『時間を空費するのは、贅沢の絶頂である。』
と。
わかるわー。
僕も平日のまっ昼間から、ゲストハウスの縁側でゴロゴロしたり、同じく暇そうな他のゲストとゴロゴロしながらどーーーーーでもいい話したりするのが大好きですw
もうね、『暇を楽しむ』のがサイコーの贅沢w
で、どーーーーーでもいい話に飽きたら、地元の人のいく銭湯や温泉に行って、1時間くらいゆっくり入る。
その後の予定はなんにもない。
旅してる時までアクセクしたくないよw
日本人にはほとんど理解されない概念に『ギャップ・イヤー』というものがある。
簡単に言うと、1年間『時間を空費』することw
1年間、「好きなこと」だけをする。
僕はこの、1年間「好きなこと」をするのがサイコーの贅沢だと思っている。
『時間を空費する』と言っても、人間はその脳みその構造上、「なにも考えないでいる」というのは無理だ。
昔のロシアの死刑より重い刑に「なにもさせない」という刑があったらしいけど、人間、本当になにもしないと気が狂ってくるらしいw
つまり「なにもしない」と言っても、「働いてない」「勉強していない」だけであって、実際は「なにか」はしている。
よくニートが、
「働いてないけど、忙しい。」
というのは、労働はしてないけど、ネトゲのレベル上げに忙しかったり、2chの巡回に忙しかったり、その他諸々、自分の熱中するものに忙しいからだと思うw
そして人間、「なにもしない」でいいと言われた時に、自然にしてしまうことこそが、「自分が一番やりたいこと」なんじゃないかな?
『ギャップ・イヤー』後の人生はその「自分が一番やりたいこと」をメインに組みなおせばいいと思う。
人生を一番楽しんだ人はお金を稼いだ人でもなく、大きな家を建てた人でもなく、「自分が一番やりたいこと」をやった人だと僕は考える。
なので、そのために『時間を空費』することは、やはり、
『贅沢の絶頂』
だと僕は思う。
あ、こんな『時間を空費』しまくってる人間の記事が『バズってどうする!?』