先ほど、▼ボロいズボンとポロシャツを捨てた記事を書きました。
twitterでの▼ブログ仲間の反応w
あのボロいズボンまだ持ってたんだ´д` ;小屋フェスで履いてたよね。。 / “夏が来たので、服を捨てました。 - A1理論はミニマリスト” https://t.co/4ZA5j4fSTd
— sandoni 岐阜(サンドニ) (@sandoni_0) 2016年6月30日
@A1riron 服買やぁ!
— すんすんらんど(すんこ) (@sunsunland_) 2016年6月30日
とまぁ、捨てた服はやはりかなりボロかったですww
で、その二つをゴミ箱にダンクしたら、、、
なんとなく、今、残ってる服もボロく見えてきました。。。
▼チノパンと仕事用スラックス。
不思議ですねぇ。
ボロ服があった時は綺麗な服に見えたのに、ボロ服がなくなると、綺麗だと思ってた服もボロく見えてくる。
まぁ、綺麗と言っても10年選手なんですがwww
昔読んだ断捨離の雑誌にあった漫画で、
家にあるモノを厳選して、捨てるモノを選んだらトラック1台分くらいあって、それらを捨てたら、厳選して残したはずだったモノもゴミに見えてきて、またトラック1台分捨てた。
という風な内容のを読んだことがある。
元・バックパッカーの僕的にはトラック1台分のモノがゴミなんて、信じられないけど、でも、なんとなく今はその気持ちがわかりましたw
大事だと思っていたモノは、
意外とそこまで大事じゃないw
で、試しに歩いて、高田馬場のユニクロとジーンズメイトに行ったら、めっちゃ綺麗じゃないですか!!
新品の服!!www(あたりまえかww)
まぁ手放して始めてわかる、着ている服のボロさww
で、この記事を書きながら、
「これ、人生と似ているなぁ。」
と思った。
イケてない人とかと、だらだら付き合ってたら、その人が「イケてない」ということにすら気づきにくい。
コミュニティも似てるなぁ。
そのコミュニティにだらだら所属していると、そのコミュニティが「イケてない」ということにすら気づきにくい。
きっと仕事もそうなんだろうなぁ。
くだらない仕事でもだらだら続けていると、その仕事が「イケてない」ということにすら気づきにくい。
そう言えば、今のアパートに引っ越してきてから、まえのボロい風呂なしでDQN住人がいるアパートのことを思い出したら、
「よくあんなところの7年も住んでたな。」
と思ったww
多分、比較対象の問題なんだろうな。
比較対象のレベルがあまりにも低いと、その「レベルの低さ」が実感しにくい。
で、その間も、
『人生の残りの健康時間』
というリソースはどんどん削られていく。
昔、学生時代に、僕は東京に来れたことが嬉しくて、いろんな人に会いに行ってたんだけど、寮に帰ってくると、変わりばえしない寮生達が同じメンバーで、ずーーーっと麻雀してたり、ゲームしてたりしていた。
それは「寮」というある種の空間的に区切られた世界での価値観のみで生きていた人間の中での「普通のこと」なんだろうな。
僕がバイトで貯めたおカネで、バックパックをしょって、
「アメリカに行ってくる!」
と言っても、けげんな顔でしか見られなかった。
けど、今の僕も結局、ボロい服を着ることに慣れてしまってたわけだ。
「コンフォートゾーン」
とも言えるのかな?
やっぱり、
人間、モノもコミュニティも、いろいろ積極的に新陳代謝させていかないとダメだな!
と思った。
とりあえず、新しいポロシャツ買うか?w