時々、資格試験自体に文句を言う人がいます。
「受験料が高い」「教材が高い」「暗記が肩こる」「計算問題がめんどくさい」「タイミングが悪い」
等々の『できない理由』を並べる人。
また、受験を決断してからもなんとなく気分が乗らない日々が続くときもあります。
そんな時にするたったひとつのことを僕は最近、思いつきました。それは、
『感謝すること』。
なにに?
『この試験を受験できるという状況にまで来れたすべてのこと』
にです。
僕は発展途上国を歩いたりしたこともありますが、日々の暮らしにままならない生活をしている子供たちに出会ったりします。
家がない子供や、家とよぶことが難しい住居に住んでいる子供もいます。
青年でも田舎から出稼ぎに来ていてベッドもなく、安いホテルのロビーの椅子で丸くなって靴のまま寝ている人もいます。
難民キャンプにいる人たちは何年もテントで共同生活していました。
中国の人力車をこいでいた人は僕の持っていた薄い日中会話帳を「売ってくれ!」と懇願し、彼からしてみればかなりの高額を提示しました。
そんな人たちは勉強したくても勉強する環境がありません。
また日本といえども戦後すぐの時代では今の発展途上国以下の状態で、食べ物もままならない状態でした。
去年の年末に親戚のおじさんの話を聞きましたが、靴もなかったそうです。冬でも。
もちろん兄弟はみんな中学卒業したらすぐに働いて妹や弟を食べさせていたそうです。
今日は3月11日ですが、4年前のあの日に亡くなった方は勉強どころか生きる権利さえ奪われてしまったのです。
生き残った人も仮説住宅や避難所暮らしの人がまだ大勢います。
今まで生きてきた中で僕の知り合いでも元気が取り柄だったのに難病になってしまった人、うつ病になってしまった人、若くして死んでしまった人もいます。
一度きりの人生の中で今まで五体満足で生きてこられて、先進国の中で勉強する環境も整っているなんて、偶然が何重にも重なった幸運のように思います。
ほんの少しでも時間軸か空間軸がずれていたらこの状態は起こりえなかったでしょう。
僕自身もこれからも「感謝」しながら『感謝の千本ノック』を続けていきたいと思います。