究極的に言えば、地球上の人間は4種類しかいない。
A1:自分が会いたい人
A2:自分が会いたくない人
B1:自分に会いたい人
B2:自分に会いたくない人
で、個体は一つしかないので、おおざっぱにわけるとそれぞれ、
(A1,B1)
(A1,B2)
(A2,B1)
(A2,B2)
のいずれかにカテゴライズできる。
「生まれたとき」
「小学校に入学した時」
「上京して東京の大学に入学した時」
「入社、転職して新しい職場に入ったとき」
「たった一人で外国へ行ったとき」
等の場合は、全く新しい場所で、
(A1,B1):(A1,B2):(A2,B1):(A2,B2)
=1:1:1:1
の割合から始まるが、その場所で長く過ごしているうちにその割合が変化してくる。
極端に例えを出すと、
=1:1:10:10
の職場では働きたくないw
「仕事」という経済活動においては、この割合と給料・業務内容を含めた「やってられるかどうか度」を天秤にかけて、そこに居残るかどうかを決めるのだと思う。
(のが「普通」だと思うが戦後の日本はそこがどんな極端な割合でも「居残ることを良し」としてきた異常時代だったので、今、日本中で様々な齟齬が起こってるのではないかと思う。)
ただ、「ソーシャルメディア」というプライベートな活動では、(A2,B2)は自然といなくなるので、
①いかに(A1,B1)な人を増やし、
②(A1,B2)の人を(A1,B1)にいかに変え、
③いかに(A2,B1)な人を減らすか。
の3つが課題となる。
人生には「時間」という制限があるので、その少ない時間のうち、(A1,B1)の人に接する時間が長ければ長いほど有意義な人生になるのではないだろうか?
従来の、ネットが普及する以前の、例えば飲み屋仲間とか、同好会とか、サークルだと、大体その割合は、
(A1,B1):(A1,B2):(A2,B1):(A2,B2)
=5:5:5:1
くらいがその団体に所属する者のロジスティック曲線的割合だったんじゃないかと思う。
もちろん、これ以上に(A1,B1)の割合が高いなら参加のモチベーションは上がる。
で、21世紀に入り、IT革命が起こり、個人メルマガやオープン型メーリングリスト時代になるとその割合は、
(A1,B1):(A1,B2):(A2,B1):(A2,B2)
=α:0:β:0
α<β
となる。
つまり、自分に興味がない人(A1,B2)(A2,B2)は絶対近寄ってこなくなる。
それは基本的にいいことである。
メーリングリストにも入ってくれない(A1,B2)を(A1,B1)に変えることに時間と労力を費やすくらいなら、可視化された(A1,B1)にそれらを費やしたほうがいい。
ただし、デメリットとしては、時間が経つにつれα:βの割合が、
α<β
α<<β
α<<<β
・
・
・
α<<<<<<<<<<<<<<<β
となっていくことである。
富士山の「雪」の部分だけが美味しい(A1,B1)なのに、だんだんと「裾野」(A2,B1)が大きくなっていって、イベントや飲み会をしても(A2,B1)の参加者ばかりになる。
その後、2006年ごろにmixiが普及し、国民的に「マイミク」という友人(?)リストを作る時代になったが、そこでも、それ以前に少数の人たちだけが作っていたメーリングリストと同じ現象が起きた。
が、メーリングリストと違う点は、可視化されることによりある程度管理可能になったことではないだろうか?
なので、度々「裾野」(A2,B1)を切ることができる、それがいわゆる「マイミク整理」という言葉だったんじゃないかと思う。
ただ、ある程度整理しても諸事情により友人を切れない人もいる。
そうなると客観的には友人の誰が本当に(A1,B1)なのか不明確になる場合がある。
ソーシャルメディア黎明期の、人を探す「開いた」時期にはそれでもいいが、ソーシャルメディアが成熟し、人を絞り込む「閉じる」時期には少なくとも現時点での(A1,B1)の抽出をより精密に行うことが大事になると思う。