毒舌ですねぇ、白石さん!!
▲しかし白石さんのWikiを読んでいると大変な人生ですねぇ。苦労し過ぎてる。。。
なのに、「浪人」「独学」続きの人生の中で、
豪商の角倉了仁から
「知人の娘を娶って跡を継がないか」
と誘われたり、
河村通顕から
「当家の未亡人と結婚してくれれば3,000両と宅地を提供する」
という誘いを受けたりしたが、
白石は好意に謝しつつも、
「幼蛇の時の傷はたとえ数寸であっても、大蛇になるとそれは何尺にもなる」
という喩えを引いて断ったという逸話がある。
立派過ぎますね。
個人的にはこの考え方、大好きです。
まるで、弟・秋山真之に、
「藩の奨学金は借りるな。」
と言った秋山好古ですな。
まさに、黒田官兵衛の、
「人に媚びず、富貴を望まず。」
ですな。
さて、このタイトルの言葉、いろいろ考えさせられます。
僕的にはこのタイトルの言葉は少し考えが違って、
「才無いが故に、よく媚び、よく人にへつろう。」
だと思います。
僕は人間って、スキルだけで考えたら、究極的には2種類だけだと思うんですよね。
・「スタンド能力」がある人
・「スタンド能力」がない人
「スタンド能力」がある人は、自分だけの「オリジナル能力」がある人。
「念能力」と言い換えてもいいかもしれません。
(僕の「A1理論」でいうと、「A1能力」)
「オリジナル能力」があるからこそ、その「オリジナル能力」を磨いて戦っていく、
つまり生きていく。
モノ作りの世界である「職人」の世界とかまさにそうだし、
「営業」の世界でも人の数だけ営業テクニックがある。(営業テクニックって、形のない「職人」技術だと思う。)
そういう「職人」なり、「営業」なり、自分の脳内でオリジナルなアルゴリズムを組める人間はその能力を存分に発揮して生きていくんだと思う。
けど、そういう「職人」なり、「営業」なりのオリジナル能力がない人間は、
・世の中や人に媚びる
というテクニックを存分に昇華させるしかないんだろうな。
こういう人って、たぶん、子供の頃から「スネ夫」的な人間で、もう「世の中や人に媚びる」癖がついちゃってるんだろうな。
新井白石はそれを「才」と呼んだけど、まぁ、「才」っちゃあ、才だわな。
けど、この「才」に関しては、全く何も生み出してない。
それどころか、本当に才能(スタンド能力)のある人間を貶めたりする。
人類にとって害悪にしかならない「才」だ。
戦はからっきしなのに、秀吉に媚びて出世した石田三成みたいに。
けど、そういう人間こそ出世しやすい。
「イエスマン」だからだ。
社長からして2代目以降は「サラリーマン社長」だ。つまり石田三成だ。
そんな「サラリーマン社長」ばかりが世に増えると、本当に「スタンド能力」のある人間はそんな世がアホらしくなって、空気が美味しく、家賃が安い里山に隠居するんじゃないかな。
『ダイの大冒険』のマトリフやポップの親父のように。
ま、しかし、そんな「職人」が集住できる地域が出来てきたのが、この21世紀の面白いところだと思う。
アメリカのポートランドやブルックリンのような「奇人変人」が集まる町が日本にもできつつある。
「小人」は延々と都会でサラリーマンやっときゃいい。
ま、「スタンド使い」どうしは『惹かれあう』ってことで。
あ、こんな「バンカラなビンボー人」の記事が『バズってどうする!?』