いきなりですが、
『無駄』ってなんでしょう?
僕はそもそも▼『人類自体が存在意義がない』と考える人間です。
人類自体が存在意義ないんだから、普通に生きてもダメに生きてもどっちでもいいと思う。 - A1理論はミニマリスト
▼『人生は無意味』というモームさんの考え方にも完全に同意です。
思い煩うことはない。人生は無意味なのだ。(モーム) - A1理論はミニマリスト
▼遺伝子自体も『断捨離』していい、とさえも考えています。
そんな僕を「ニヒリスト」とか「ペシミスト」とか言う人がいるかもしれませんが、、、
僕は「本当のこと」を言い続けたいだけだ。
合理的で、論理的な『解』を導き出したいだけだww
そして、無駄にポジティブだ!!ww
まぁ、それはどうでもいいとして(どうでもええんかい!)、、、
僕は、人生には、
『必要な無駄』
と、
『不必要な無駄』
が、あるように思えます。
そう言うと、
「人類自体が存在意義ないなら、全部『無駄』だろう!」
という人がいるだろうけど、
いや、そうじゃない。
『必要な無駄』
とは、
自分が自分であるために必ず必要な『無駄な行為』
なんじゃないかな?
逆もまた然りで、
『不必要な無駄』
とは、
自分が自分であるために不要な『無駄な行為』
なんじゃないかな?
僕の考えを言うと、
『自分』が『自分』であることが、人生において一番大事だ。
『自分』が『自分』であるために必要なことは、たとえ他人が『無駄』だと言っても『無駄』じゃないし、
『自分』が『自分』であるために不必要なことは、たとえ他人が『必要』だと言っても『無駄』なのだ。
僕は▼『人生の目的』は『自分らしく生きること』だと思っている。
「人生の目的」はやっぱり『自分らしく生きること』なんじゃないかな? - A1理論はミニマリスト
もちろん、僕の人生観であって、他人に押し付ける気はないけど、、、
でも、結局、そうなんじゃないか?
『他人の人生』を生きてどうするんだ!?
とは思う。
これが理解できない人は▼人生の最後の最後に「後悔」するんじゃないかな?って思う。
ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5 | Pouch[ポーチ]
人生の最後の最後に「後悔」するのが、僕は一番意味のない人生だと思う。
自分の人生を評価するのは、他人でも、閻魔様でもない、自分自身だと、僕は思う。
※個人の考え方です。
「バックパッカーの教祖」とも言われる蔵前仁一氏は▼「いつも旅のことばかり考えていた」(神本!)でこう言っている。
生きていくのに必要なものは人によってそれぞれ違う。
音楽がなくては生きていけない人もいれば、サッカー・ボールなくしてたちゆかない人もいるし、本を読まずには暮らせない人もいる。
僕だって全く本が持てなかったらかなりつらい。
だが、(旅は)自分にとって何が本当に必要なのかを、一度考える絶好の機会である事は確かだと思う。
別に僕は「清貧」などという高尚な思想を持ってるわけではない。
自分が本当に必要だと思ったら貪欲に求めればよいと思う。そのために人生の貴重な時間を費やすことが愚かだとは思わない。
ただ、僕は自分の求めることが、モノではなく、旅という行為だったというだけの話だ。
僕は20代の頃は自他共に認める海外の『旅キチガ●』で、30代後半になって、今度は日本国内のゲストハウスやその周辺の地域住民たちに興味が出てきたおっさんだ。
僕にとって、
『旅をすること』
や、
『ゲストハウスを巡ること』
は、
人生にとって、絶対的に『必要な無駄』なのだ。
20代に、アジア横断の長旅から帰ってきて、日本で出会ったおっさんに、
「旅なんて、現実逃避だ。」
とか言われたが、
それはあなたの人生では旅が『不必要な無駄』なのであって、
僕の人生にとっては『必要な無駄』なのだ。
逆に、僕の人生にとっては、「就職」とか、「サービス残業」とか、「結婚」とか、「幸せな家庭を築く」なんてのは、
『不必要な無駄』
なのだ。
世間一般の価値観とか、日本人の価値観とか、
そんなもん、知らんがな!
俺の人生は俺のモノであって、
お前のモノじゃないんだ。
俺が必要だと思った『必要な無駄』なモノは貪欲に求めるし、
それ以外の『不必要な無駄』なモノはオール断捨離だ。
俺の人生時間は長くもないし、安くもない。
『不必要な無駄』なモノに費やすカネも時間ももったいないのだ!!
というわけで、
ああ、旅がしたい、旅がしたいww