2017年9月2日の土曜日。
僕は失業後、1ヶ月以上経ったけど、、、
待ちに待った▼離職票が家に届いた!
離職票がやっと届いたけど、内容が微妙過ぎたので週明けにハロワに相談に行く! - A1理論はミニマリスト
で、なんかブログ書く気にはなれず、、、
久しぶりにエスタークに、
「歩くぞ!」
とLINEした。
で!!
ここで『エスターク』を知らない良い子のみんなに説明しよう!!
『エスターク』とは、、、
1998年。
A1理論が20歳の時、地元の大学を辞め、東京の大学に入りなおした時、同じ寮に同じ時に入寮した、同じ歳の寮生である!
A1理論と同じく、兵庫県出身で、同じく地元の大学を辞め、同じく20歳で、同じくドラクエ・ジャンプ漫画好き、そして本好き、ということで意気投合した。
学部もA1理論の隣の商学部だった。
当時は僕らの大学は学内で『インターネット』が出来るようになったばっかりで、「メディアネットワークセンター」という建物もでき、僕は『インターネット』や『パソコン』というモノも彼からいろいろ教わった。
はじめての、学内掲示板での『オフ会』も彼と一緒に参加した。
そう言えば、僕と彼との共通点はもうひとつあった!
家が超絶ビンボー!
だったことだw
うちの大学は、
「貸与型奨学金を借りれるかどうか?」
また、
「給付型奨学金を借りれるかどうか?」
の判断として『家計点』なるもので学生の家の「重み」を計っていた。
まぁ、つまり、
「どれだけビンボーか?」
という点数だ。
当時は奨学金を借りる学生は10%くらいらしかったけど、そんな奨学金を借りるような家の学生の『家計点』は、大体、
400点
くらいだ。
この点数なら、
「まぁ、給付型奨学金なら貸してあげるよ」
という感じだ。
で、僕らの学生寮は、元々ビンボー人が多いうちの大学の中でも、かなりのビンボー人が集まるような、寮費月3000円のオンボロ学生寮だったから、そんな寮生の『家計点』の平均は、大体、
0点
前後だった気がする。
この点数なら、
「もちろん、貸与型奨学金を貸します!高校の成績によっては給付型奨学金も!」
という感じだ。
で、確か、僕の家が、
ー75点
くらいで、エスタークの家は、
ー140点
くらいだった気がするw
これくらいの点数は、
「いやいや、貸与型奨学金はもちろん!給付型奨学金にも便宜をはかります!ていうか、あんたらビンボー過ぎ!!!!wwww」
という感じだw
通常なら給付型奨学金は優秀な学生のためにもらえる奨学金なんだけれども、僕らがもらえた理由は、一言で言うと、
「ビンボー過ぎ!!」
だからだw
(僕は兵庫県出身者のための給付奨学金、彼は大学の給付奨学金だ。)
ちなみに、僕より彼のほうが家計点が低かった理由は、おそらく彼の家族の事情と、阪神大震災でも少し被災していたのもあったからだろう。
けどまぁ、その『家計点』には親の借金はおそらく加算(僕らの場合は減算w)されてなかったから、親の借金まで入れたらたぶん、僕の家のほうがビンボー度は上(というか、下w)だっただろう、というのが我々の分析w
つまり、僕らは、
ビンボー大学の、さらにビンボー寮の、さらにビンボー寮生
だったわけだw
下の、下の、そのまた下だっ!!ww
とはいえ、さすがに月3000円の学生寮に、給付型奨学金ももらえ、さらに寮の先輩にボロ稼ぎ短期バイトも紹介してもらえたりしていると、生活はめちゃくちゃビンボーではなくなる。
いやまぁ、世間の目的にはめちゃくちゃビンボーには映っていたんだろうけど、地元の大学を辞めて東京に出てきた嬉しさや、「寮生」という数の力、マンモス大学の東京でのネームバリューもあったりして、
なかなか楽しく生きていたような気がする。
先日、僕がブログ記事に書いた▼『地を這う魚』に出てくるビンボーアパートの住人みたいな、若さとビンボーさが入り混じった謎のハイテンション生活だった。
「ダメになりたい時」に吾妻ひでおの『失踪日記』と『地を這う魚』をセットで読むといい具合にダメ人間になれるよ!w - A1理論はミニマリスト
学生寮があった田無の夜の町を徘徊したり、
夜に「寮メシ」を食べすぎて歩いて吉祥寺まで行ったり、
変なバイトの面接に行ったり、
所持金ほぼゼロで湘南まで行ったり、
帰省した時に神戸や姫路で会ったりもしたw
常にカネがない僕らの生活の基本は「歩き」「散歩」というカネがなくても楽しめるエンターテイメントで、歩きながら、いろんな話をした。
人生論、寮のこと、大学のこと、田無や高田馬場について、カネのこと、家族のこと、政治や経済、読んだ本について、マンガやゲームについてw
その後、1年の秋から、僕はバイトやサークル、アメリカへの旅の計画、その他いろんな活動に明け暮れるようになって忙しくなった。
大学1年の前期に大学慣れ・寮慣れ・ビンボー生活慣れしたことと、大学の授業を前期にまとめて入れていたので、仮面浪人時代に構想していた、
本格的な「大学プロジェクト」を始めたのだ。
が、彼は相変わらず、寮でだらだらしていたw
相変わらず、ゲームや漫画の日々w
典型的な「ダメ寮生」を突っ走っていたw
2000年、大学3年生の時は僕らは「同室」になった。
僕らの学生寮は相部屋だったので、年度末のくじ引きで、
なんと!僕はエスタークと「同室」になったのだw
その頃は、僕は首都圏の学生の間で、少し有名人になってたけど、彼は相変わらず、寮でゲーム・漫画の日々だった。
昼夜も逆転していたし、その頃、ちょうどドラクエ7も発売されてしまったものだから、もう寮で「ドラクエ廃人」と化していたw
また、その「ドラクエ7」が元々ストーリーが長い上に、彼はすべての石版集めはもちろん、すべてのキャラのレベル・職業をマックスにしないと気が済まない人間だから、毎晩、毎晩、僕が部屋に帰るとほこり被ったテレビで『岩石落とし』ばっかりやってたw
で、彼はそれに疲れて、朝方に寝るw
もちろん、授業には出ないw
日によっては夜も寝ていたw
一体、いつ起きてるんだかw
僕はその頃、学生ながら、始発から終電まで、土日祝もなく働いていたので、
「このエスタークが!!」
と言ったw
『エスターク』とは、ドラクエ4と5に出てくる、
いつも眠っている『地獄の帝王』だw
今、▼これを読み返すと、、、
エスタークとは (エスタークとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
「ラリホーマが高確率で効く」
と書いてあってワロタ!w
僕は、彼の能力は実は高く評価しており、特に論理的思考能力はかなり高いと思っていたw
だが、しかし、起きないwww
そのせいで、出席が厳しい商学部で留年してしまい、給付型奨学金も打ち切られるしまつw
おカネは親に借りるなど工面し(ここがやっぱり僕の家よりカネがある点なんだろうな)、どうにか5年生の秋卒業で大学を卒業していた。
21世紀になるやならんやで世間が騒いでいた頃の話だ。
そんなこんなで、卒業後は、、、
僕はアジアを横断し、その後、東京に帰って来てからは「親の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』をひたすらガシガシと返済していく生活が長く続いた。
エスタークは関西に帰った。これは親のこともあったのだろう。
元々、パソコンとかが得意だったのでSEとして10年くらい働いていた。
(学生時代後半からバイトでソフト開発などもしていた)
卒業しても、お互いの人生の転換期には東京や京都や神戸や姫路で会ったり、スカイプしたりしていた。
でも、その時も前半こそ近況報告とか家庭の事情の話になるけど、後半は結局、ドラクエや漫画の話ばかりwww
30歳になっても、相変わらずなエスタークだったけれども、僕はなんか、彼と話すると安心したw
「ああ、俺は大変な日々だけれども、こいつも大変だ。でもこいつはアホだw」
みたいなw
存在的には小動物系な感じだw
(俺よりデカいけどw)
で、そんな彼と僕が34歳の時、
彼はいきなり東京に出てきたw
「関西の会社を辞めて東京の会社に引き抜かれた。」
とのことw
しかも、結局、僕が住んでる高田馬場に住むことになったw
家も極々近所のワンルームアパートを借りたw
ちょうどドラクエ10が発売された頃で、
「ドラクエ10買いに行くぞ!!」
と言いながら、彼は僕の部屋に頻繁に遊びに来たw
その頃、僕は長年に及ぶ『双子の赤字』の返済に一段落がついていた。
まだ親の借金は多く残っていたものの、とりあえず、学費の借金(日本育英会1種&2種&入学金育英会)は全額繰り上げ返済し、風呂なしアパートから風呂のあるアパートへ引っ越し、長らく働いていた仕事を辞め、失業保険で新宿の職業訓練校に通っていた。
僕は、学生時代から30代前半まで働き詰めだったためか、『双子の赤字』に一応の決着がついたためか、、、
僕は、この頃には、
「働きたくないでござる!!」
を繰り返す無職のおっさんになっていたw
頑張り過ぎた反動で、人生にどっと疲れていた。
職業訓練校が終わっても働かず、エスタークには、
「おまえのほうがエスタークやろ!!w」
と言われたw
対する彼は、積年の問題であった親は年金生活に突入し、未だに親族のトラブルは抱えていたものの、改めて青春の地である東京・高田馬場に出てきてやる気満々で、
「働きたいでござる!!」
になっていた!
彼はIT系の仕事をしていただけあって、20代からIT系資格もかなり取得していた。
僕はIT系でもずっと営業マンで、32歳くらいからやっと資格の勉強も始めたこともあり、いろいろ資格の相談に乗ってもらったりもしていた。
そして、僕はニート、彼はSEという職業柄、仕事中も座りっぱなしだったので、30代中頃の他の男性と同じく、お腹が出て来ていた。
なので、彼が休みの日や、仕事と仕事の境い目で少し暇が出来た時なんかは、
「歩くぞ!」
と、LINEをし合ったw
(2012年、僕は彼に言われてLINEを始めた。)
歩く場所は田無から高田馬場に変わったものの、東西南北、早稲田や中野や野方、新宿や池袋等を、学生時代、特に大学1年の前期の時と同じように、夜の町を徘徊しながら、仕事論、IT論、家族、健康、国家論、結婚観、親戚縁者について、寮時代の寮生について話した。
そして相変わらず、ゲームや漫画論w
ある夜、2人とも翌日も時間があったので、高田馬場から四谷、赤坂を抜け、新橋まで歩いて、その後、大手町、九段下、飯田橋、神楽坂と、早稲田通りを遡って、高田馬場まで帰ってきた時もあったw
帰ってきた時は空が明るくなっていたw
散歩以外では、新宿に「るろうに剣心」や「ドラゴンボール」の映画を公開初日に観に行ったりもしていたw
集中力がなくて映画が観れない僕は映画館に行ったことがほとんどなかったので、いい体験でもあった。
その後、彼は引き抜かれたベンチャー企業を1年ちょっとで辞め、紆余曲折あったものの、僕が30代前半に仕事仲間で行っていた『勉強会兼飲み会』によく来てくれていた年上の仕事仲間の紹介で、とある小さな会社に入社した。
2013年の年末の話だ。
ずっと、
「関西に帰る」
と言っていた彼は、しばらく、東京に残るようだった。
(その会社の給料が良かったのが大きい。俺に感謝しろよ!w)
僕はその2013年初頭にはじまった『はてなブログ』を訥々と書いていたが、当時はあまり軌道に乗らず、相変わらず、リアルな友達はエスタークくらいだったw
年が明けた2014年は僕もエスタークも勤め人をしていたけど、やっぱり、夜もかなり歩いたw
が、僕はその2014年9月に再び会社都合退社。
有給も最後に全消化だったので、辞めた翌日にエスタークと新宿に▼「るろうに剣心」の映画観に行ったなぁwこれも公開初日w
で、その2014年の年末は、僕は九州・宮崎の親戚の家に行く用事があった。
その際に、鹿児島から姫路まで、当時、日本に出来始めた『国内ゲストハウス』を泊まり歩く旅を決行!
きっかけになったのは▼このコミックエッセイだ。
その後、年が明けて2015年春は『はてなブログ』でミニマリストブームが到来!
資格ブロガーだった僕は『ミニマリストブロガー』に転身し、さらにそのミニマリスト達にゲストハウスを紹介することで『ゲストハウスブロガー』とも言われ始めた。
さらに、そのゲストハウスをきっかけに、夏には長野県の下諏訪にもハマり始めたし、ブロガーとも頻繁に『オフ会』をするようにもなった。
僕は20代から注目し、もっというと「夢」見ていた、
『ブログ』と『国内ゲストハウス』
が、30代後半にしてやっとこさ、両輪で動き始め、さらに『下諏訪』を得て、がぜん、ブログ運営に夢中になっていった。
で、2012年の夏から、2015年の夏まで、3年間歩き続けたエスタークに、僕は、
「これから忙しくなる。歩けん。」
と言った。
さらに、2015年11月からは僕は再び勤め人に戻り、仕事とブログでいっぱいいっぱいになっていった。
今考えると、これは大学1年の後期と全く同じ状態だったな。
この2年間、エスタークと会ったのは、高田馬場の西友や整骨院でばったり会ったり、同じく高田馬場のニューヨーカーズカフェでちょっと話したくらいだった気がするw
それくらい、
2年間、『仕事』と『ブログ』に僕は追われていた。
が、僕はこの7月末に退職し、
2017年9月2日の土曜日。
僕の元には、やっと離職票が届いた。
そして、エスタークにLINEした、
「歩くぞ!」
とw
久しぶりにエスタークと遊ぶ(笑)
相変わらず、人を待たせる奴だ(笑)
私の青春、返して!!(笑)
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年9月2日
会って早々、僕は、
「ドラクエ11、買いに行くぞ!」
と言ったw
まぁ、エスタークはさすがエスタークで、この夏に発売されたドラクエ11(DS版)はすでにクリア済みだったのだがw
この夜は9月に入ったばかりなのに、あまりにも寒い曇りの夜だったので、一旦、僕は自分のアパートの部屋に帰って防寒対策。
その間、エスタークは2012年に最初に住んだアパートの近くでタバコを吸っていた。
防寒対策で準備完了!
これからエスタークと夜の高田馬場ウォーキング!
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年9月2日
眠らない街と、星のない空の下で。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年9月2日
www.youtube.com
で、久しぶりにエスタークと高田馬場や落合をてくてくと歩いた。
内容は相変わらず、仕事やゲーム・漫画が多かったなw
で、歩いているうちに日付が変わって、
9月3日の午前2時頃。
高田馬場に最近できた、線路脇の綺麗な児童公園のベンチに2人で座り、ローソンストア100で買ったコーヒーを飲んでいた。
エスタークと。 pic.twitter.com/j3XsXjsIsR
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年9月2日
その公園の目の前に出来た、高田馬場に似つかわしくない超高層ビルは、僕がよくエスタークと歩いていた2012年夏~2015年夏頃はずっと工事していて、当時はこの児童公園もなく、その工事中のビルの前の歩道脇のベンチでよく話していた。
今は、その後ろに広い公園ができて便利になった。
そこで家族の話題になった。
エスタークは、
「最近、完全決着した。」
と言った。
長年、家単位で揉めていた親族間のトラブルが完全解決したらしい。
この親族の愚痴は数年前、歩きながらイヤと言うほど聞いていた僕には朗報だった。
僕は僕で、最近、上の弟が兵庫県に転勤になった。
なので、僕は義理の弟も含め、弟3人が兵庫県にいる状態になり、彼らはなにかあれば実家をサポートしてくれることだろう。
僕が東京で派遣社員をしながら、実家にカネを送っては働き、送っては働き、を繰り返していた30歳前後の時は、僕の弟達は、学生だったり、フラフラしていたり、ワーキングプアだったりしていた。
つまり、まともな戦力は僕だけだった。
けど、そんな弟達も今は全員、30代で、自分の仕事も確立しつつあり、さらに、この夏、全員、兵庫県に集結した。
もちろん、うちの借金はまだまだあるし、親もエスタークの親とは違い無年金なのだが、どうにか東京オリンピックまで乗り切れそうだ。
(僕は、僕の実家は東京オリンピックまで乗り切れれば、『勝ち』だと考えている。)
もうね、そろそろにーちゃんをビンボー地獄から解放してくれwwww
ということで、
お互い、40歳を目前に控え、実家がかなり落ち着いてきた。
20歳の時、兵庫県からこの高田馬場に無一文、いや、実家が大変なのにも関わらず、さらに学費の借金をしてまで上京してきてから9年半、
「人間、40年くらい生きれば、貧乏でもどうにかなるもんやな。」
と、
新品の公園の遊具と、新築の超高層ビルを見ながら、線路を背にして、僕らは真夜中に笑いあった。