※個人の、現時点での意見です。
ちきりんさんや伊賀さんは、言う、
「『生産性』を上げよう!!」
と!!
確かに、どうしようもなく生産性の低いおっさんや、生産性が低いのみならず、派遣社員の仕事を妨害してくる正社員を毎日のように見ていると僕もそう言いたくなるのは、痛いほどわかる!!!
しかし、あえて言おう!!
人類の『生産性』を上げてきたのは「頑張り」ではなく、そういう『能力』なんじゃないかな?
と!!!
人類の歴史上、その『生産性』を上げてきた個体は、
「頑張って」生産性を上げて来たんじゃなくて、自分の『能力』でもって『生産性』を上げて来たんじゃないかな?
それはけして「パワー」なんじゃない!!
そういう『能力』だったんじゃないかな???
「生産性を上げる『能力』」
を持たない個体が、無理やり『生産性』を上げようとしても、徒労に終わるんじゃないかな???
勉強が嫌いな子供に無理やり勉強させたり、スポーツ嫌いな子供に無理やり長距離マラソンさせたり、人前に出るのが苦手な子供に無理やり歌を歌わせたりするのと同じで。
それは、
「ヤムチャの修行」
と似てる気がするw
僕は、
「ヤムチャの修行」なんて、徒労にしか過ぎない。
と、考える派だww
「3年後に南の都に人造人間が現れる!!」
と言われて、ヤムチャがどれだけ必死に修行したところで、超サイヤ人を越えるパワーを今更、サイバイマン()に殺されたヤムチャ()が手に入れられるとも思えないし、超サイヤ人連中が人造人間に殺されれば、どっちみち人類は滅びるw
なので、
「ヤムチャの修行は意味がない」
のだwww
セルゲームに向けてヤムチャが修行したところで、セルはおろか、セルジュニアに腕を折られて終わりなのだwww
「生産性」を上げる『能力』がある人間だけが、「生産性」を上げればいいんじゃないかな?
って、僕はいつも思う。
世の中、『努力』や『根性』ではないと僕は思う。
すべては自分がどういう『能力』を持っているか?
だと思う。
島田紳助は、
「世の中、なんでも『才能』や!」
「みんな俺を見て『よう頑張ってますねぇ』っていうけど、『頑張ってない』っちゅうねん!!」
と言った。
僕はこれは、
ものすごく正確に「人類」と「社会」を理解しているな。
って思う。
すべては『才能』であり、その『才能』に向かって『努力』するべきであり、『才能』がないことに向かって努力しても、
「ヤムチャの修行」
に終わるだけ、つまり「徒労」に終わるだけだと僕は思う。
「『生産性』を上げることができる」
というのは僕はひとつのすばらしい『才能』であって、
すべての人類が『生産性』を上げることは不可能だと思う。
すべてのサイヤ人が超サイヤ人にならないように。
弓と矢で射ぬかれた人間が全員、スタンド使いにならないように。
『生産性』を上げれる人間と、上げれない人間がこの世にはいて、『生産性』を上げれない人間に無理くり『生産性』を上げさせようとすると、なにかしらの「良からぬこと」が起きる気がする。
で、僕はこの、
「『生産性』を上げることができる能力者」
は、
『最上志向』
を持った人間なんじゃないかな?
って思う。
例えば、ミニマリストも『最上志向』を持った人が多いと思う。
まぁ、ミニマリスト自体『最小思考』ですからねぇw
『生産性』をマキシマムにするために、モノの管理コストをミニマムにする。
そのために、そもそもモノ自体を持たない、という思考に至ったのかもしれない。ジョブズしかり、ザッカーバーグしかり。
元々、アメリカのミニマリストは、なにかを『生産』していたIT系企業の社長等が多い。
(日本のミニマリストのイメージは「お片付け」「小屋暮らし」「貧乏人」だけれどもw)
じゃあ、
「『生産性』を上げれる人間こそが存在意義があるのか?」
と聞かれると、僕の意見は、
「ノー!!」
だ。
『そもそも論』として、僕は
▼「人類自体に存在意義がない」
と思っているw
人類自体が存在意義ないんだから、普通に生きてもダメに生きてもどっちでもいいと思う。 - A1理論はミニマリスト
「人類自体に存在意義がないんだから、生産性を上げるもなにも、そもそもそれ自体に意味がない」
と、僕は思っている。
例えば、
芸術において『生産性』ってなんだ??
岸辺露伴のように瞬時に漫画を描き上げる能力のことか???
そんなに『生産性』を上げてどうする?
そもそも、それって▼『他者評価』基準じゃないか???
『他者評価』なんて断捨離!『自己評価』で生きた時間だけが「自分の人生」だ!! - A1理論はミニマリスト
「お笑い」という『芸術』に、「視聴率」という『生産性』が持ち込まれてきたからこそ、松本人志は、ラジオ『放送室』で、
「もうテレビ辞めたい。」
と愚痴ったんじゃないかな?
僕も、ブログは『芸術』だと考えているので、PVやブログ収益のことばかり気にするブロガーとは距離を置きたいと考えています。
『好きなもの』や『好きな場所』があることが人生で一番大事で、お金なんてそこにアクセスする手段でしかないし、そのお金もそんな多くは必要ないと思ってます!! / “あなたのブログのPVが伸びないのは、あなたが「清く、美しい」からだか…” https://t.co/s9kz4KBjPd
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2016年12月13日
で、
なぜ、最近の人類は、そんなに『生産性』という『いち能力』にこだわるのか?
と考えたら、結局、
「20世紀が『グローバル経済』の時代だった」
というだけのことだと思う。
19世紀まで、日本人の多くは農家だったし、年貢も米で払ってた。
読書階級であった「武士」も、その農家に養ってもらってたようなものだ。
そこにいきなり『グローバル経済』が持ち込まれてきたから、
20世紀の人類は好むと好まざるとに関わらず、『生産性』重視の人生を送らざるを得なかったんじゃないかな?
って思う。
その根本原因は『資本主義』であり、さらにその『資本主義』の根本原因は、アメリカの『ドル防衛』にあると僕は考えている。
『生産性』を裏付ける価値基準である『米ドル札』は、究極的に言うと「紙切れ」でしかない。
その「紙切れ」を権威付けてきたのは、戦前は『銀本位制』であり、戦後のブレトン・ウッズ協定以降は『金本位性』、そして、ニクソン・ショック以降は僕は『石油本位制』だと考えている。(一般的には変動相場制)
だって、石油ってドルでしか買えないじゃん!!
(ユーロや円では買えない)
すべては『米ドル札』という「紙切れ」の価値を、金銀や石油という、埋蔵量が決まっている物質と連動させるための『ドル防衛策』であり、その『ドル防衛策』が続いている限り、『資本主義』は続く、つまり、人類は『生産性』第一主義にならざるを得ないのだ。
けど、そもそも、
僕から言わせれば『生産性』なんていうのは、『最上志向』という、人間のいち『才能』のひとつであり、それ自体に優劣はないし、ましてや勝ち負けも上下もない!!
人間の『才能』にダーウィン進化説をあてはめること自体が、最も愚かなことだと僕は考えます。
で、
21世紀に入り、人類にはある出来事が起こった!
と僕は考える。
それは、
「プロダクトの『生産性』がカンストした」
ということだw
PCの進化は止まり、スマホの進化も止まりつつある。
ということは、
そもそもプロダクトの『生産性』の意味がなくなり、
ということは『資本主義』自体の意味がなくなり、
そうなると、アメリカが『ドル防衛』することの意味がなくなるんじゃないか?
と僕なんかは思ってしまう。
つまり、
人類の生活に、ほとんどの『モノ』が必要なくなり、人類は、最小限の『モノ』で生きれるようになってきたんじゃないか?
と僕は考える。
なので、個人的には、
これからは『最上志向』を持った個体は「プロダクトの生産性」を上げるのではなく▼「コミュニティの生産性」を上げるべき!
だと思います。
『生産性』というレアな能力者はその能力を社会に還元するべき!でもそのスキームは20世紀と21世紀では異なると僕は思う! - A1理論はミニマリスト
理由は、カンストしてるからwww
なので、
21世紀の人類は、長らく続いてきた『生産性』の呪縛から解き放たれ、自分が元々与えられた『能力』(才能)を存分に発揮して生きるべき!
というのが僕の今時点での考えです!!
(しかし『生産性』主義者は21世紀になってもその考えを変えないと思うので、最終的には核戦争にまでいたるかも知れませんし、もしかすると人類はすでにその愚の歴史を何度か繰り返してきていて、実は今は『何巡めかの人類』なのかも知れません)
な、なにを言っているのかわからないと思うが、、、
お、俺もなにを言っているのかわからない。。。
(既に缶チューハイ3つめだしwww)
ま、この記事で言いたいことをミニマムにまとめると、
「自分の『好き』を大事にして、その『好き』から来る『能力』に人生時間を投資したほうが、この『飢えない時代』である21世紀では人生コスパ良くって、自分の苦手なこと(生産性とか)を無理に『頑張る』時代ではなくなってきてるんじゃないかな?」
ってことで!!
ちなみに、僕は人間が『好き』(A1)から来る『能力』こそが『A1能力』であって、その『A1能力』こそが、人生で一番大事だ!って思ってます!!(A1理論!!)