うーーむ、いいこと言いますねぇ、広瀬さん!
さすが、眼の病があり、目を使いすぎると腫れてしまうことから、
「あまり眼を使いすぎると中年以降には失明してしまう。」
と医者に言われたことで、
経書の本文のみを読書するようになっただけのことはある!!
それがこのタイトルのような思想を生んだんだろうなぁ~。
その広瀬淡窓が開いた私塾▼『咸宜園』。
その寮生活の厳しさを詠った▼「休道の詩」は立命館大学の寮歌のルーツとも言われてるらしい!へー!!
「今日は何の日」9月 私塾立命館の創設 | | 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) | 立命館大学
また広瀬青村が塾長を務めたことのある大分・咸宜園には立命館の寮歌のルーツではないかと言われる「休道の詩」が残っています。
ちなみに、現在、▼立命館大学の寮はこんなにオシャレにリノベーションされていました!w女子!!ww
京都・西陣『藤森寮』は元学生寮をリノベーションした超オシャレなSOHO支援町家でした! - A1理論はミニマリスト
さて、タイトルの言葉ですが、、、
人の知、人にあり。故に量り(かぎり)あり。
物の理、天にあり。故に窮まりなし。
僕はこういう言葉を放つ人は大好きですねぇ。
まさに『学問に終わりなし』みたいな感じで。
人間は、脳みそが大きすぎる生物のためか、世界を全部、把握したかのように思ってしまう傾向がある
と、僕は思う。
実は、人間は、世界どころか、そう考えている自分の「脳」のことさえも、よくわかってないw
「人の知」なんて、所詮、たかが知れている。
僕の意見を言えば、なににおいても、みんな「そこそこ」のことは知ってるけど、その「そこそこ」のエリアをはみ出すと、普段の生活に支障がないためか、いっきに情報過疎地域になるような気がする。
そんな、浅い「人間の知」に比べ、
「物の理」のものすごいことよ。
もうね、どこまでいっても「終わり」がないように思える。
これは学問とかそういう堅苦しい物に限らず、僕が好きな、
「ブログ」とか、「ゲストハウス」とか、「下諏訪」に関してもそう。
ある程度の情報はググれば出てくる。
けど、その「ある程度」から先は、極端に情報も少なくなるし、文献も残ってない。
いわゆる、広瀬淡窓の言う「人の知」の限界を超えてしまう。
そこから先は「物の理」の領域だ。
そこから先は自分で「発掘」しながら考えて進んでいくしかない。
でも、それって、
ものすごく楽しい『作業』なんじゃないかな?
しかも、この時代、『ブログ』も『twitter』もある。
自分の「発掘」の成果を興味がある人とシェアできるし、興味がある人達と繋がることもできる。
それが、人生において、仕事よりも、おカネよりも、大事なことなんじゃないかな?
(A1理論!!)
その機能が、一昔前までは「大学」の中にとじ込まれていたようなもので。
学問学問した、堅苦しい「世界」だ。
今の時代、地位も名誉も、いらない。もちろん、カネもいらない、仕事なんてテキトーに派遣社員とかやってて、ギリギリ死なない程度のカネさえありゃあいいから、『好きなコト』だけを極めて、それに親和性の高い少数の人とだけ、生きていく。
そんなすばらしい生き方ができる時代に、我々は生きている、と思う。
俺もジョブズと同じ考え方(笑) pic.twitter.com/gEhjnHuPHG
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) April 19, 2017
あ、こんな▼ジン・フリークスみたいな文章が、、、
「大切なものは欲しいものより先に来た」HUNTER×HUNTER 32の名言 - NAVER まとめ
『バズってどうする!?』