なかなかのミニマリストですな!芥川先生!
さすが、自殺の直前に身辺の者に自殺を仄めかす言動を多く残していて、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説があるだけのことはある!!
ていうか、それって「かまってちゃん」の死ぬ死ぬ詐欺じゃんw
某ブロガーかよ!w
芥川SHOW!!
しかし、この言葉は本当に真のミニマリストですな。
モノを捨てることが目的ではなく、精神的な欲望も捨て去ることで、真の平和が訪れる。
モノを捨てたところで、地位や名誉やお金に執着してたら意味がない。
『生きてるだけで素晴らしいんだ。』
という境地に達してこそのミニマリズムだと僕は思う。
今日、死ぬことさえ受け入れる。
それがどんな死に方でもだ。
いきなり残忍な殺人鬼が家に押し寄せてきて、ぐちゃぐちゃな殺され方をしたとしても、それでも生まれてきたことに『感謝』する。
それくらい、生きること自体にも執着せずにこれからも僕は生きていきたい。
毎日、目が覚めたことが奇跡だと思うべきだし、寝てる間も心臓が休まず動き続けていることも奇跡的な確率だと思うべきだ。
そんな奇跡的な確率で健康に生きれている今日という日をどう生きるのか?
僕はやっぱり『他人のため』に生きるべきだと思う。
頑張って生きてるのに、運悪く、報われていない人。
けして怠けてもない、戦略ミスでもない、毎日必死に頑張っても、それでも報われてない人。
そういう人に、人生の残りのお金も、知恵も、時間も使うべきだ。
今はブログもあるし、クラウドファンディングもあるし、日本中に空き家も余りまくっている。
お金か、時間か、知恵か、人によって提供できるものは違うだろけど、どれかは提供できるんじゃないかな?
そうやって他人を助けることが、最終的に、
『感謝の多い人生』
『笑顔の多い人生』
になるんじゃないかな、と僕は思う。
昔はそれが、町内とか、社内とか、部署内とかの狭い範囲内だったのが、今は日本中、世界中で個々人どうしで助け合える時代になりつつある。
世界中のゲストハウスもゆるーーく繋がってる。
他人を助け続けることが、もしかしたら、権力に固執している人間からしてみれば、ものすごく都合の悪い存続に映るかもしれないが、問題ない。
どんなに権力者から嫌がらせをされても、一貫して、
『無欲すぎる問題児』
を目指すべきだと僕は考えます。
無欲な人には『アクマイト光線』が効かない。「無欲すぎる問題児」が僕の理想。 - A1理論はミニマリスト
あ、こんなに『執着』を捨てている記事がバズに執着してどうする!?