当たり前のことを言ってますね!大隈重信さん!w
さすが、字の上手な学友がいて、大隈は字の上手さでその学友にかなわなかったため、
「書かなければ負けることはない!」
と負けず嫌いで字を書くことをやめ、以降は勉強はひたすら暗記で克服し、本を出版する時も口述筆記ですませ、死ぬ時まで文字を書かなくなっただけのことはある!!
そりゃあ、右足もぶっ飛ばされますわw
「爆弾魔(ボマー)」に気をつけろ!!ww
で、実はこのタイトルの言葉には続きがあります!
学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。
しかしいやしくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意思の大なる力がいる。
これは『勇気』である。
いい言葉ですねぇ。
というか、『少年ジャンプ』に出てきそうなセリフですなぁw
『勇気のしるし』的なw
人間、成長するにつれて、手足は長くなり、頭でっかちになっていくように思える。
いや、それはそれで当然の帰結なんだけれども、
僕は、それに反比例して『勇気』がしぼんでくるような気がする。
小賢しい「世渡りテクニック」だけを覚え、そのテクニックに飯を食わせてもらうようになると、なんとなく、新規でチャレンジする『勇気』を出し惜しみしてしまうような気がする。
子供の頃や、20代の頃のようなめちゃくちゃやってた時期のことは、
「あれは黒歴史だ。」
「もう大人だし。」
「社会人として、そんなことしたらダメだ。」
みたいな言葉で片付けてしまう。
けれども、法律や条令を破らなければ、この国ではなにをやっても自由なんだ。
それは、けして、
「仕事を辞めて起業しよう!」
とか、そういうコトではなくて、、、
働きながら何かをすることだって『勇気』だし、
逆に、何かを辞めることだって『勇気』だろう。
逆に、
「たとえ五体満足でも、それを統べる『勇気』がなかったら意味がない。」
と、片足を失った大隈重信は思ったんじゃないかな?
僕は、ほんのちょっとの『勇気』さえあれば、人生はめちゃくちゃ楽しくなると思います。
例えば、ブログを始めてみるとか、オフ会に行ってみるとか、イベントに参加してみるとか、ゲストハウスに泊まって他のゲストさんに話しかけてみる、とか。
ほんのちょっとの『勇気』。
自分から一歩踏み出すことで、逆に、新しい世界の人が、
「あなたはこういう人だよ。」
と、教えてくれることもある。
それって人生の中ですごく大事で、『自分を知る』ことができたら、もう人生、勝ったようなものだ。
僕の言葉で言うと、その時点で、
「『A1能力』の発動条件」
を満たし始めている。
『好き(A1)』×『才能(能力)』=『A1能力』発動!!! - A1理論はミニマリスト
「自分らしく」生きることが出来れば、仕事も、それ以外の時間も、すべて充実するんじゃないか?
って僕は思う。
なぜなら、
「自分らしく」生きる
ということは、自分の『才能』から来る
『A1能力』を発動している
ということだからだ!
そんな人の表情は、大体、見るからに輝いている。
逆に「自分らしくない」時間は、「空っぽの時間」だ。
『A1能力』が発動されていない
からだ。
ただ、生きているだけの時間。
ただ脳を動かし、ただ腕を動かし、ただ足を動かしているだけの単純反復運動に過ぎない。
そんな人の表情は、大体、歪んでいる。
人生における、ほんの少しの『勇気』。
それが『A1能力』に目覚めるきっかけとなり、人生は雪だるま式に好転していくと思います。
自分らしく生きている人は、ただ、
「『勇気』を出して、やった。」
という、ただそれだけの『凡人』に過ぎない、と、僕は思います。
あ!こんな、毎日毎日「働かない勇気」に満ち溢れたオッsンの記事が『バズってどうする!?』