うーん、なかなかいいことを言いますね、杉浦さん!!
このタイトルの文章には続きがあります。
己に倹にして、人に倹なる、是を倹という。
己に倹ならず、人に倹なる、是を吝(けち)という。
なるほどー!
そしてこれは▼貝原益軒さんと同じようなことを言ってるような気がします。
身に奉ずること薄きを『倹約』とし、人に奉ずること薄きを『吝嗇(りんしょく)』とす。(貝原益軒) - A1理論はミニマリスト
しかし、僕が思うに、おそらく「普通の人」は、
己に倹ならず、人にも倹ならず。
なんじゃないかな、と思いました。
自分自身も特に節約しないし、他人のカネの使い方に関しては、よっぽどひどい浪費家以外は口出ししない。
まぁ、それが「普通の人」なんじゃないかな、と思います。
ちなみに、僕の基準で言うと、
『己に倹ならず、人に倹なる人』は、
単なるDQNw
そして、
『己に倹にして、人に倹なる人』 はDQNとまではいかないけど、ウザい人w
「俺の稼いだカネなんだからほっとけや!」
ってことですねw
DQNとまではいかないけど、まぁまぁなDQNですww
あと、あんまり関係ないけど、
「これも経費はかかってるんですから!!」
とか言って来たりする人いるけど、そういう人に限って、そのツールの使い方を理解していないことは往々にして人間社会によくある出来事のひとつとして、いにしえより語り継がれていますw
やはり、ストア派にしろ、ミニマリストにしろ、
己に倹にして、人に倹ならず。
が一番の理想だと思います。
というか、他人に自分の生き方や思想信条を強要する時点でDQNだろw
大げさに言うと日本国憲法違反w
イスラム教徒でさえ、ほとんどは他人にイスラム教を強要しない。
ほとんどのミニマリストも、ミニマリズムをオススメはするものの、決して強要することはないだろう。
というか、強要しても誰もミニマリストにならないしwww
自分はミニマリズム生活をするが、他人にミニマリズムを強要しない。
それがやはり、『愛』なんだと僕も思う。
なぜなら、人には皆、それぞれ『意見の違い』があるからだ。
我々がすべて同じように考えるべきだというのはよくない。競馬レースが成り立つのは意見の違いがあるからだ。(マーク・トウェイン) - A1理論はミニマリスト
『意見の違い』を汲み取れる人間、感じ取れる人間こそが『愛』のある人間なんじゃないかな、と思います。
みんな違って、みんないい。
そして、ミニマリストが「普通の人」と『共生』できた時こそ、本当のミニマリズムが生まれるのかもしれない、と、僕は思います。
で、こんな記事をバズらせて、倹約から遠ざけて、どうする!?