※今回はいつも以上にわけがわかりません
今日、ふと、通勤時間に思った、
人はみな『●●に詳しい無職』なんじゃないかな?
とwww
世の中、星の数ほどいろんな職業がある。
でも、結局、それは『職業』とされているから『職業』なのであって、本来は、
『ラーメンの作り方に詳しい無職』
『特定の商品にやたら詳しい無職』
『特定の言語にやたら詳しい無職』
『ブログ運営にやたら詳しい無職』
なんじゃないかな?
サラリーマンも、
『特定の会社の社内事情やパワーバランスにやたら詳しい無職』
なだけであって。
そんなオタクが『職業』として認められているから『無職』じゃないように見えているだけで、本来は、
『ガンダムのモビルスーツにやたら詳しい無職』
『ジョジョのスタンドにやたら詳しい無職』
『特定の国の料理にやたら詳しいバックパッカー』
『特定の歴史上の人物にやたら詳しい定年後のじいさん』
と、たいして変わらないんじゃないかな?
『おカネ』が、特定の権力から『おカネ』と認められているから『おカネ』の機能を果たしているだけであって、それがなければ「ただの色がついた紙切れ」なだけであって。
『国』が、国連やらオリンピック委員会やら大企業やらから『国』と認められているからこそ『国』なのであって、それらがなければ、単なる「土地と建物」なだけであって。
『職業』も、それを認める人がいるから『無職じゃない』ことになってるだけで、本来は、人間はみなイノセントな『無職』なんじゃないかな?
「いやいや、なに言ってるんだ!俺は社員証も入館証も持ってるぞ!」
という人がいるだろうけど、それは本来は単なる色が付いたカードやICカードなだけであって。
「俺は資格や免許を持ってるぞ!」
という人も、それは単なるインクが付いた紙なだけであって。
で、そんな単なる色が付いたカードやICカード、インクが付いた紙にこだわる『無職』ほど、本来の●●には詳しくなかったりする。
中途半端な無職。
本来の●●に詳しい人ほど、そんな物理的な証明書なんかどうでもよくて、自分の好きな●●について、心からハングリーに極めていたりする『無職』なんじゃないかな?
で、そういう人は「おカネ」にもあんまり執着してなくて、ただただ「●●を極められればそれでいい」とだけ考えていて、「おカネ」なんて、「●●を極めるためにギリギリ死なないくらいにあればいい」くらいに思ってるんじゃないかな?
で、今の時代に生きている人間の特権は、
自分がやたら詳しい●●についてブログで書き続けていれば、ギリギリ死なない程度のカネが入ってくること
なんじゃないかな?
ど田舎の空き家に住んで、野菜を育てて自炊していれば、ギリギリ死なない程度には生きていける、どんな『無職』でも。
●●に中途半端に詳しいけど色の付いたカードを持っている『無職』
になるくらいなら、
カネはないけど、●●についてはめちゃくちゃ詳しい『無職』
になって生きていったほうがいい、同じ『無職』なら。と考える人もこれからは出てくるんじゃないかな?
もしくは、
●●と、■■と、◆◆についてそこそこ詳しく、それらの知識を習得してきた過程において、その類似性を見出した『無職』
とかw
これからの時代、単なる権威に裏打ちされただけの社員証や免許なんて、ほとんど価値がなくなってくるんじゃないかな?
大事なのは、
なにに詳しい『無職』なのか?
なんじゃないかな?
人間の脳の処理能力も、記憶容量も、人生の健康寿命も、そんなに個体差はない。
だったら、自分が詳しい●●をアピールしたもん勝ちになっていくんじゃないかな?
人間は今までの時代も、そういうのは木簡とか、パピルスとか、活版印刷術とかでアピールしていたと思うけど、、、、
スマホとブログが一般的になってきた現代、人間は再び、全員『無職』に戻って、その末に、この世界は「新しい世界」になっていくんじゃないかな?
- 作者: トーマス・フリードマン,伏見威蕃
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※な、なにを言っているのかわからないと思うが、俺もなにを言っているのかわからない、、、
ま、しかし、本来「わかる人だけがわかればいい」というスタンスのブログなので、これでいいのかw