プラトンの弟子でありながら「イデア論」を批判したアリストテレスさんの言葉です。
さすが550巻もの著書をもっていただけのことはある!w
この言葉は彼の唱える『幸福主義』から来た言葉なんじゃないかと思います。
幸福とは、たんに快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または、人間の霊魂が、固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた。
それ自体が目的となるような「善きもの」としては「快楽」がある。
しかし、快楽は、アリストテレスによれば、それ自身としても望ましいが、ときとして他のものの手段となるものである。
だから快楽は、生活を幸福にするためのものであっても、もっとも価値が高いものとはいえない。
アリストテレスは、
『快楽』は『幸福』ではない
と言っている。
これはわかるなー。
快楽自体を人生の目的にしてしまったら、僕はすごくつまらないような気がする。
『幸福』そのものに向かう手段としての『快楽』であって、『快楽』自体を目的地にしちゃダメなんじゃないか、って言ってるんだろうな、と、僕は解釈した。
じゃあ目的地となる『幸福』ってなんだろう?
もっとも価値の高い善きものとしての「最高善」がある。
これこそが「幸福」(エウダイモニア)であり、人間を人間たらしめるもの、至上の価値である。それは、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現する。
アリストテレスは、理性の活動とは、人間としての徳(アレテー)の追求であり、テオリア的態度から生まれてくるものであるとした。
『幸福』とは『最高善』であり『徳の追求』だとアリストテレスは考えた。
ま、これはアリストテレス個人の意見で、後にカントによって否定されるらしいですが、、、
幸福は満足せる人間に属す。
という言葉からしてアリストテレスは、『幸福』とは『快楽』でなはなく、
『善』や『徳』を追求したことによる『満足感』のことを『幸福』と定義してるんじゃないかな、と思う。
『善』や『徳』の追求。
これこそが20世紀後半の日本の大量生産大量消費社会に抜け落ちていた人間の『幸福』なのかもしれない。
で、キミらはバズらせることが『幸福』なの???