タイトル通り、コロナ禍で派遣切りに遭ったA1理論です!w
話題の『FIRE(financial independence retire early)』ではなく、シンプルにFIRE(クビ)ですw
この5月中旬まで仕事がバタバタで、やっと落ち着いてきた頃で、個人的にはもうしばらくこの仕事を続けながら、土日や有給休暇を使いながらこのブログをマネタイズしていこうかなと考えていた矢先なので、非常に残念です。
前回の派遣切り、前々回の派遣切りの時は心身ともにヘトヘトで疲労困憊で失業保険一直線でしたが、今回はまだ余力があるので、新天地を探そうと考えています!
というわけで、今回の派遣切りの流れと、対策、そして考えたことをつらつらと書いてみようと思います。
基本的に日記的内容ですが、コロナ禍で大変な思いをしている方などの気休めの読み物などになれば幸いです!
派遣切りから1週間のtwitterタイムライン!
派遣社員のことをあまり知らない方のために書いておくと、日本では基本的に派遣社員は3ヶ月契約で3ヶ月ずつ更新されていくので、その真ん中の月、例えば4,5,6月契約だと5月が次の更新の審査月となり、その第3週くらいに契約更新可否がわかります。
なので、5月第4週である先週末くらいに僕は契約可否が分かるかなと思っていたのですが、月曜日のWEB会議中にめったに電話がかかってこない派遣会社から電話がかかってきたので、「ああ、契約解除か。」と思いました。WEB会議後にかけ直すとやはりその通りの結果でした。
まぁ、もう少しくわしく知りたい方はこの記事の最後まで読んでいただければと思いますが、結論をいうと6月末で契約解除です。
来月も合わせるとトータル2年4ヶ月の勤務で、僕としては長いほうでした。派遣社員のリミットである3年満期まで勤務しても個人的にはよかったのですが、まぁご縁が無かったということで。
まぁしかし、おかげさまで、この2年4ヶ月で経済的には自分の人生史上、最高貯金になりました。
▼しかも「お金の大学」の両学長とか、中田敦彦YouTube大学「お金の授業」シリーズなど、令和時代のおカネにまつわるノウハウ情報もかなり世に出てきたように感じました。だいぶ生きるのが楽になってきました。
翌日の火曜日は、朝から客先でした。
もーいさん、ありがとうございます。。。
そして帰宅後は、、、
世の中はまだまだコロナ禍の緊急事態宣言真っ只中です。
俺の女神様はバリケードの中にいるんだよっ!!(意味不明)
▼こんな動画も見ました。無職万歳!
働きたくないでござる!!w
けど、翌日、、、
スキルシート(職務経歴書、ポートフォリオとも言います)を書いていると、僕はいつも働く気が湧いてくるんですよねぇ。
そして、この日で、、、
結局、俺はカネのためではなく『自分らしく生きるため』に働いているんだろうなぁ。
そもそも、『自分』を満足させるために生きている。
未曾有のコロナ禍でも「いい人」はいっぱいいる、と思った。
そして週末、健康診断をして、、、
僕が僕を愛し抜きたい。どこに向かう『旅』だとしても。
というわけで、現時点ではこれからポジティブに新天地を探そうと思っています!!
人生で何度も派遣切りを食らうと『免疫』ができてくる!
この間、日本では新型コロナに対するワクチン接種が進み、東京・大阪に大規模ワクチン接種会場ができて高齢者から大規模接種がスタートしました。
新型コロナワクチンに関しては▼この中田敦彦動画がすごく参考になりました!間隔をあけて2回ほど見るとより深く理解できると思います。
日本はまだまだ接種率が低くて接種会場に人が殺到していますが、接種率が上がってくるとアメリカのように今度は政府の方から「接種してください!」的なキャンペーンを打ち出すと思います。なぜなら50%以上の国民が接種しないと集団免疫を獲得できないから。
アメリカ政府なんて、ついに▼『出会い系アプリ』とワクチン接種がマッチングしはじめましたからねw濃厚接触にもほどがあるw
▲ひどいつぶやきだ。。。w
で、ワクチンは人工的にウイルスに対する『免疫』を作り出すシステムですが、、、
『派遣切り』に関しても僕はこの『免疫』という概念が非常に大事になってくると思いました。有効なワクチンはありませんが、、、
1度目や2度目の『派遣切り』だと『免疫』が獲得できておらず、人はヘトヘトになったり、死にたくなったりしますが、、、
何度も『派遣切り』を食らっていると『免疫』ができてきて「対応パッチ」をすぐに充てれるようになると思いました。というか、派遣社員で働いている時点で『派遣切り』は必然で、それをあらかじめ想定して、貯金したり、投資したり、副業したり、失業保険について調べたり、転職準備してたりしますからね。
ポップが何度もカイザーフェニックスを食らっているうちに回避技を会得する、つまり『対策』ができるのと同じですねぇ。
上に政策あれば、下に対策あり。庶民ができることは急な派遣切りに備えて、常に『対策』を練り続けることだけだと思います。
仕事は探すといっぱいあった!しかも全体の給与や採用条件が良くなっている気がする!
で、僕はとりあえず次も派遣社員で仕事を探そうと思っていて、いつも利用している「エン派遣」のサイトを見ているのですが、今、めちゃくちゃ仕事ありますねぇ。。。
しかも、同一労働同一賃金の流れからか、全体の給与や採用条件が2年前より良くなっている気がしています。
ネットのニュースや動画を見ていると、コロナ禍で貧困にあえぐ人が多いような印象ですが、少なくとも東京でのデスクワークは今は求人が多いような気がします。
むしろコロナ禍で転職控えしている人が多く、転職市場は人が足りないという話も聞きました。(まぁ僕も来年までの3年満期でコロナ禍をやりすごそうとしていたクチですしね)
『失われた平成30年間』を知っている40代のおっさんからしてみれば、今はいい仕事ありすぎてびっくりですw
「優秀な40代」がどこの企業もいないんでしょうねぇ。(これは働いていてもすごく感じました)
今の派遣会社でもう少し働くと次の有給休暇が着くのですが、もう別の派遣会社に乗り換えてしまって半年後に高い給与の有給休暇をゲットしたほうがいいかな、とも思っています。
もし新天地が見つからなくても失業保険がある!しかも会社都合退職!
そして、もし次の仕事が見つからなくても今の僕にはまたしても失業保険がありますw
しかも、派遣会社が次の仕事を見つけられなかった、ということで会社都合退職にできます、というか、しますw
それなら1ヶ月後に150日の失業保険期間がもあえるので、トータル半年くらいゆっくりできますしね。
もちろん、その場合はその半年間はガッツリとブログマネタイズです!w
もし失業保険が切れても貯金とブログがある!!
で、さらにさらに、その150日間の失業保険が切れても貯金がありますし、その150日間の間にもし月10万円くらいのブログ収益ができればそれがベーシックインカムになりますからねぇ。
その豊富な貯金とブログ収益を背景に、またゆっくり仕事を探せばいいわけです。その頃には日本のワクチン接種率もおそらく50%を超えて集団免疫獲得で、コロナ禍が去っていっている可能性も高いですし。
その間にもリモートワークはもっと普及していくと思うので、就業後の実質の労働時間もミニマムになっていくと思います。
▼『FACTFULNESS』に書いてあったように、世界はどんどん良くなっていて、それは自分が仕事を休んでいる間も、当然、良くなっていきますしね。
最後につらつらと、ひとりごと。
というわけで、ここまで読んでくれた方に少し、今の僕が考えていることをつらつらと。
今回の僕の派遣切りの要因はまぁ、僕には完全に想定内で、僕はいつも上の方や現場の同僚、お客さんには気に入られるのですが、すぐ上の直属の上司はそれでは非常に困るので、一方的に派遣会社に派遣切り通達で、上の方や現場の同僚には事後報告、みたいな。彼らは「マジで!?」ってびっくりしていました。ちなみにお客さんはまだなにも知りません。(これもいつも通り)
僕の今までの派遣切りにはそのパターンが何度かあって、若い頃にはそれにブチ切れて直属の上司と怒鳴りあいの大ゲンカしたり、ドア蹴って自分から即日で辞表たたきつけたりしましたが(若かったですねぇw)今回は、まぁ、しょうがないか、という感じでずいぶんと大人になりましたw
「そんな派遣切りのパターンってある??」
って思われるかもしれませんが、むしろ僕にとってはほぼデフォルトのパターンです。
秀吉が部下の黒田官兵衛を恐れて姫路から北九州に左遷したり、アルキード王国の国王がバランを恐れて処刑しようとしたのと同じです。
最初は歓迎モードなのですが、最終的には「才能が怖い」ってなっちゃうんでしょうねぇ。
その周期が僕には大体、2年前後で、僕はそれを昔、▼「『賞味期限』が切れた仕事」と表現していました。
日本でサラリーマン続けている人間はほとんどが「才能のない人間」で、だからこそいつまでも『新卒カード』で入った会社にしがみついている。
そういう人間が一番怖いのは、派遣社員で元バックパッカーという「るろうに」の分際で、「才能のある人間」なんだろうと思う。
で、そういう「才能のない人間」が取りうる唯一の策が、『新卒カード』を単にトランスフォームさせただけの『正社員カード』を振りかざすことだけだ。
僕は若い頃はその手口も完全に理解していたし、僕自身も貧乏家庭出身で「親の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』の返済のことばかり考えてイライラしていたからモロに大激突して大ゲンカしたことも何回もあったけど、、、
結局、ダイの母親ソアラが言ったようにそういう人はシンプルに「臆病なだけ」なんだろうな、と、40歳を過ぎ、多少なりとも金銭的に余裕が出てきた今の僕は、そう理解している。
むしろそういう人がいる職場を3年も待たずに辞めることができたのはラッキーとも言える。
というわけで、また新天地を探す旅に出ようと思います。僕は所詮、元バックパッカーの「るろうに」ですからw