OECDの調査によると『日本のニートは高学歴』らしい。
まぁ、『読解力』が高くてもコミュ障だったら意味がないと思うけどwww
けど、確かにphaさんのような『高学歴ニート』は日本に少なくない。
なんでだろう?
今回は僕なりにその理由を考えてみた。
僕は一概に『高学歴』と言っても大きく分けて4種類いるんじゃないかと思う。
①超ボンボン高学歴
②ボンボン高学歴
③庶民高学歴・お金派
④庶民高学歴・多様性派
で、それぞれにニートがいる。
それぞれどういう経緯でニートになるか考えてみる。
ちなみに今回の『高学歴』の定義は東大・京大・一橋・早稲田・慶応レベルのSラン・Aラン上位クラスとする。
これは大体、日本の人口の2%くらい。
また、「起業家」はどの種類からも出てくるので今回は除外。自営業やフリーランスも除外。
サラリーマンや派遣社員などの『雇われ人』か『ニート』かで考える。公務員・外資系・海外就職等も今回は除外。
①超ボンボン高学歴のニート
人口の2%のうちの約半分の1%くらいがこれ。
親が富裕層(世帯の純金融資産1億円以上)や超富裕層(世帯の純金融資産5億円以上)の場合も多いだろう。
まぁ多くは慶応や早稲田等の私大の付属校上がり。
就活しなくてもなぜか内定が出てる奴ら。
彼らはそもそも働かなくても食っていけるww
彼らが働く理由は『世間体』と『暇つぶし』ww
そして彼らがニートになる理由は、
『働くのに飽きた』
だけww
②ボンボン高学歴のニート
③庶民高学歴・お金派のニート
この2つは境目が曖昧なのでいっしょにしても良かったのだが一応、分けた。
ボンボン高学歴は早慶付属校上がりほどではないが、地方の名門私立高校やトップ公立高校のボンボンキャラ。
庶民高学歴・お金派は地方の中堅私立高校や中堅公立高校からなぜか紛れ込んだ庶民階層出身者のうち、お金大好きっ子。もしくは『めがね君』的キャラ。
この2種類の高学歴がニートになる理由は、
『どうがんばっても①超ボンボン高学歴に勝てない』
ことを知って、病んで、そのままずっと実家ニートとか。
この種類の高学歴ニートは勉強はできたけど、そもそも『社会の仕組み』を知らなかったタイプかな、と思う。
親の言うとおりしてたら詰みました、みたいな。
大体、日本の会社の時点で今は『詰み詰みルート』上にある。
ここでどう頑張ったって個人の力で会社を大きくしたりは無理ゲー。
むしろ頑張れば頑張るほど①の人間に目をつけられたりする。
で、最終的に①の人間が出世した時に、
「結局、最初から出世する人間は決まってたじゃないか。」
「結局、世の中、出来レースじゃないか。」
となって、絶望して、休職→退社後、延々と実家ニート、的な。
この人たちは結局、日本社会の構造が『関ヶ原』から変わってない、ということを30歳前後まで知らなかっただけだと思う。
④庶民高学歴・多様性派のニート
これがphaさんに近いんじゃないかと思う。
お金は『ギリギリ死なない程度』にあれば良くて、ネットやシェアハウスや本のほうが大事。
僕はおそらく、そういう人はお金よりずっと『多様性』に飢えてきたんじゃないかと思う。
『大東京ビンボー生活マニュアル』という漫画にコースケという主人公がいる。
↑この「なにもないシアワセ」がダイジェスト版です。
僕は去年、この漫画を読んだんだけど、一言で言うと80年代の『ニートの歩き方』。
『ニート』どころか『フリーター』という言葉もなかった80年代から実はこういう若者はすでに存在していた。
主人公コースケはおそらく高学歴で、近所に住む医学部浪人生の家に転がっていた医学部の入試問題も解いてしまったりするんだけど、ニートw
時々日雇いバイトとかで働いて家賃を払っていたり滞納していたりするww
でも友達はすごくいっぱいいて、毎日、充実のニート生活を送っている。
コースケの家は杉並区で、東京の④のニートはだいたいこの杉並や中野近辺によく生息している。バックパッカー上がりもここらへんに多い。もしくは練馬近辺。
この作品を読んだ誰かが、
「コースケは『怠け者』なのではない、『欲』が少ないだけ」
と、どこかに書いてあった気がするけど、僕もまさしくそうだと思う。
けど、僕の言葉で正確に言うと、物欲や金銭欲が少ないだけで、コースケが求めていたものは『多様性』なんじゃないか、と思う。だから田舎に戻らない。
言い換えるとコースケは人や本の『多様性欲』に飢えている。だからいろんな価値観を持っている人が住む「東京」が心地いい。
phaさんやコースケにとって、欲望の優先度は、
多様性(人・本・ブログ)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>金銭欲・物欲
なんじゃないだろうか?
服なんて着れればいいし、食べ物もギリギリ死なない程度にあればいい。
でも『多様性』がないと死んでしまう人種。
彼らは本を読みまくってるので、日本企業の時点で大企業であろうが『詰み詰みルート』であること、日本社会の構造が既得権益に乗ったもん勝ちな『関ヶ原』的構造であることもすでに20代前半で知っていたりする。
でも彼らにはそんなことはどうでもよくて、何より大事なのは『多様性』なんじゃないかと思う。
オバタカズユキの『何ノ為ニ働クカ』にはこうある。
しかし、人事マンの言うような、「会社を辞めてまで東京人でいたい」という若者の急増は、やはり80年代以降のことだろう。
(中略)
高度情報化社会と高度消費型社会の完成により、TOKYOはKAISHAより優位となったのだ。
彼らにとっては『多様性』で溢れている東京という街はなによりの「生き場」であって、逆に多様性のない『会社』に入ると死んでしまうんじゃないかと思う。
また、地方の親含む人間たちは高度経済成長時代のプログラムがまだ脳内に残っている汎用型工業用ロボットだ。
この地方のノリが嫌いだから東京に出てきたのであって、会社に入って地方転勤になったら意味がない。
東京に『多様性』がめちゃくちゃ集中しているからだ。(特に中央線沿い)
暗い話だが、僕の学生寮の元寮生も、卒業後まもなく自殺した人が先輩後輩含め3人ほどいたのを知っている。
僕や『エスターク』が寮に入った理由は実家が貧乏すぎて寮に入る以外の選択肢がなかったからだ。
だが、もしかすると卒寮後自殺した彼らが寮に求めていたのは『多様性』だったのかもしれない。
生きるのが苦しくて、苦しくて、
「もしかしたら寮には自分と同じような人種がいて、そこにいけば『空気』をわけてくれるかもしれない」
と思って入寮届を書いたのかもしれない。
だが、学生寮は当然ながら4年で追い出される。
彼らは再び『多様性』のない世界に放り出され、絶望して、自ら命を絶ったのかもしれない。
彼らが欲しかったのはお金でもモノでも学歴でもなく、
『自分の生き方を肯定してくれる人達が集住している空間』
だったんじゃないかな、と最近よく思う。
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