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僕は1998年の春から今日も、インターネット上に「なんてことない雑文」ばかり書き続けている。

「インターネットに雑文を書き続けて、まもなく四半世紀になるなぁ。」

と、先日ふと思ったので、そんな「僕は雑文ばかり書いてきた」という雑文を書いてみることにしました。

この記事は毒にも薬にもならない記事で、生活お役立ち記事でもないです。SEOも意識していないですし、バズることもありません。最近、「ブログの神様」と言われ始めた僕の昔のブログ仲間のヒトデがよく言うベネフィット()も特にありませんw

『なんでもない日記』がインターネットから「フェードアウト」している。

先日、▼こんな記事を読みました。「00年代みたいに『なんでもない日記』を書いてみよう」という記事。昔、ブログを熱心に書いていた人たちが「フェードアウト」していく問題についての記事を引用してこう書かれている。

「フェードアウト」の原因には、家庭や職場といった環境の変化とともに、「ブログを書いて得ていた体験が、社内やクローズドな環境で起こる別の行動によって満たされ」ることもあるのではないか、と指摘しています。

あの頃みたいに、インターネットに書き続けよう

これはあるなぁ。というか、mixi時代も日記を熱心に書いていた人がよく、ある日突然、日記ストップしたり、アカウント(mixiID)を削除したりもしていた。これは僕の言葉で言うと、

「『コミュニティ・ロス』状態が解消された。」

になる。▼この記事の「人間関係の4分類」で言うと、、、

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職場の人間関係である「ビジネスのストック」や、結婚して家族を作るなどの「プライベートのストック」が充足している、つまり『コミュニティ・ロス』状態が解消された人はブログやmixi日記、twitterなどを更新しなくなる。

彼らの目的はブログの収益化とか「ブログでFIRE!」とかじゃなくて、ビジネスやプライベートのコミュニティのストックが切れてしまっていたから。なので「プライベートのフロー」に近いmixi日記や、はてなダイアリーに紐付いている「はてな村」という『かりそめのコミュニティ』で『コミュニティ・ロス』というある種の病気を癒していたのかもしれない。ちなみにmixiには女性が、はてなには男性が多かった。

日本の『平成』時代は『コミュニティ・ロス』全盛期だったんじゃないかな?

それは00年代というより、日本の年号でいうところの『平成』の時代特有の現象だったのかもしれない。▼この記事にも書いたけど、、、

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日本社会も明治までは江戸時代の幕藩体制の延長の「地縁血縁」社会で、人間関係はビジネスのストックもフローも、プライベートのストックもフローも満たされていた、いや一体化していたのかもしれない。ある意味、農耕民族の日本人は明治時代くらいまでは『コミュニティ・ロス』がなかった時代だったのかもしれない。

ジャパニーズ「カイシャ」制度が普及した昭和期には『コミュニティ・ロス』状態を癒すのは近所のバーやスナックだったのかもしれない。

そして現在の令和の時代では『コミュニティ・ロス』状態を癒すのは、コロナ禍を乗り切った下諏訪マスヤゲストハウスに代表されるような『交流型ゲストハウスのバー』や、僕が最近、注目している『noteメンバーシップ』に代表されるような「小規模オンラインサロン」なんじゃないかと思っている。

(ちなみに最近、キングコング西野さんのオンラインサロン会員が7万人から4万人程度に減少しているのは、西野さんが頑張ってないとかじゃなくて、おそらくオンラインサロン需要がより細分化してきているんだと思う。音楽でもアイドルでもお笑いでも漫画でもスポーツでも『熟成したエンタメ市場はより細分化に向かっていく』と僕は考えている。)

日本の『平成』という時代はこの『コミュニティ・ロス』状態が延々と続いたブラックホールのような時代だったんじゃないかと僕は思う。この『平成』時代は自殺率が高く、当時のおじさんたちはその原因がなにかわからなかったらしいけど、当時若者だった僕はそれを完全に理解していて、それを僕の言葉で言うと『コミュニティ・ロス』状態だった。田無寮の寮生も卒寮後、次々に消えていった。

▼平成の後半はタイのバンコクなどに『外こもり』を試みた若者もいた。

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そんな時代に普及した「インターネット」(僕はこの言葉自体ももう死語のような気がするけど。今はデバイスがネットに繋がってる状態が当たり前だし。)は、この平成時代特有の『コミュニティ・ロス』状態という病気の「カルテ」の役割を果たしていたのかもしれない。病気が治った、もしくは患者が死んだら、当然、カルテは役目を終える。

僕はずっと「あの頃」みたいにインターネット上に雑文を書き続けている。

で、上記の記事を読んでコメント(はてなブックマーク)したあとに僕は考えた。

というわけで、この日の夜はインターネットに雑文を書き続けた、僕のこの24年と3ヶ月くらいをちょっと振り返るつぶやきをtwitterで長々としてみた。この記事はそのつぶやきのまとめ記事に近いです。twitterを長々と貼ると記事が重くなるので文章にしてみました。一部、編集してお届けします。どうしてもtwitterのつぶやきで読みたいという奇特な方は2022年6月13日の僕のつぶやきを直接、お読みくださいw

働きたくないから大学へ。雑文を書きたかったから東京へ。

僕が高校を卒業してすぐ最初に地元大学に入った理由は、シンプルに高卒で働きたくなかったから。僕はその大学には 高三の11月に推薦入試ですでに余裕で合格していた。僕の高校の生徒はほとんどその地元の大学を推薦入試で受けるんだけど、合格したのは僕ともう1人だけだった。僕が推薦入試で合格して思ったことは、

「良かった。来年の春から働くことを回避できた。あと来月発売されるドラクエ6ができる!」

だった。そしてその直後に発売され、発売日に買ったドラクエ6に関しては、その前作の神ゲーだった5に比べたらあまりにもクソゲーすぎて絶望したw「こんなクソゲーするくらいならまだ受験勉強のほうが面白かったわw」って思ったwこれが小学生の頃から好きだったあの「ドラクエ」だなんて、テリー並みの経歴詐称だと思ったw

で、それに加え、11月の推薦入試時の成績が飛び抜けてよかった(その大学からは成績がうちの高校に送られてくるシステムだったらしいので担任が言ってた)こと、当時の僕は地元から出たかったこと、そしてなんとなく「残りの人生、仕事ではなくて文章を書き続けて生きていきたい」と年明けくらいに思い始めたので、最初の大学で「仮面浪人」をすることは最初の大学の入学式のまえには決めてて、親にも言ってた。

神戸の大学はF欄大学だったけど、いかにも「神戸の大学」らしく、そこにいた学生達は子供の頃から都会の有名な塾や予備校に行ってた「情報強者」なヤツらが多くて大阪や東京のこともよく知ってた。なんとなく「情報弱者」なタイプの学生は姫路方面の「播州系」な人たちだった。東京や大阪どころか、今まで神戸の街中にも行ったことがない感じの田舎モノ系。

で、そんな都会の人たちと話ししていると、
「物書きになりたいならそもそも関西にいたらダメなんじゃない?」
って言われた。

大学の授業に出ながら再受験した仮面浪人1年目は関西の大学に落ちて良かったと今では思う。仮面浪人2年目は思い切ってF欄大学を休学して三宮の予備校へ。三宮の予備校では入学試験からずっとトップ成績だった。で、先生に「物書きになりたい」と言うと、やっぱり、

「それなら、東京の大学に行ったほうがいい。」

と言われた。なので、僕はクラスでも数えるくらいの人数の東京の大学の受験者になった。というのも、そこは関西の予備校らしく、クラスメイトのほとんどは「関関同立」狙いばっかりで、東京の大学の情報はほとんどなかった。唯一の情報は赤本の後ろのほうに申し訳程度に載っている情報くらいで、どうやら東京の大学は私立大学でも貧乏人用の学生寮があると知った。

東京の大学では授業に出ずにパソコンルームでインターネットばかりしていた。

1998年の春、僕はどうにかこうにか東京の大学に引っかかって上京。三宮の予備校の同じクラスの中で東京の大学に進んだのは僕ともう1人の女子だとあとから担任に聞いた。僕と常に三宮の予備校でトップ成績争いしてた男は全学部受けて全滅してた。そいつの親父はその大学のOBなのに。

そして、田舎のビンボー自営業家庭で、借金1億&4人兄弟家庭の僕は、当然のように学生寮生活に移行。合格発表を見た後すぐに寮を下見しに田無へ。神戸の大学や予備校では、噂程度に、

「東京の大学では大学時代から新聞社の編集部とかでバイトしてる学生もいるらしいよ。」

と聞いていた。なのでその寮を案内してくれた2人の寮生に、寮の施設案内の後の雑談時にそのバイトの噂について聞いてみると、

「あ、俺、●●新聞社でバイトしてるよ。」

とあっさり言われてびっくりした。東京に来て初めて出会った学生が新聞社でバイトしていた。

その後、僕は大学入学前の3月末にこの寮に入寮した。この時、この寮で同じ新入生で、同じ年で、京都の大学を1年で辞めて、神戸の実家で1年間、自宅浪人(いわゆる「宅浪」)してたオタク気質のエスターク(仮名)と出会う。神戸のビンボー家庭出身の彼もやはり大学の赤本のわずかな寮の情報の記載を頼りに入寮していた。

僕はどちらかというと旅やユースホステル(ゲストハウスの前身)が好きなタイプで、オタク気質なエスタークとは真逆の性格だったんだけど、同じ年で同じ学年、しかも同じ兵庫県出身で同じ大学入り直し組、そして『ドラクエ』が好きということですぐに仲良くなって、寮では朝までドラクエの話ししたり、寮メシを食べたあとに朝までかけて吉祥寺まで夜通し歩いて行ったりした。

最近、高田馬場をエスタークとウォーキングしながら話していてわかったことは、彼は『ドラクエ』の戦闘にプログラミング的な面白さを感じていて、僕は『ドラクエ』のストーリーに旅の魅力を感じていたようだ。でもどちらも切り離すことはできないのがドラクエの魅力で、それゆえにエスタークとは今でもドラクエの話で朝まで盛り上がったりしている。

1998年4月になり、僕らは大学にも入学し、僕は先輩がバイトしてる新聞社に行ってみると「今はまだバイト募集はしてない。」と言われ、しばらく再募集を待つことになった。

そうこうしていると、寮の先輩に「最近、うちの大学は『メディアネットワークセンター』というところでパソコンやインターネットが使えるようになった。パソコン操作やインターネットへのアクセスは就職活動に必須になってきたらから1年のうちから慣れておくように!」と言われた。バイトが再募集待ちで時間もあった僕は、試しにその『メディアネットワークセンター』という場所に1人で行ったら、生まれて初めて触るパソコンは全然、わけがわからなくてボーゼンとしてしまった。

その後、エスタークを連れて再び『メディアネットワークセンター』に行くと、彼は神戸で昔からパソコンをいじっていたらしく、スラスラとわかりやすく教えてくれて、大学でも寮でもパソコンを使えない人がほとんどだった98年当時、僕は「うわ!コイツすごいな!!」と思った。

そしてインターネットの世界を知った僕は、大学の学内掲示板での見知らぬ学生との交流にどハマりし、授業にも出ずに毎日、その掲示板に「なんてことない雑文」を書き続ける日々に。飲み会が押して終電を逃した時は、24時間使えるパソコンルームで朝まで雑文を書いてたこともある。

ちなみに僕が「コイツ、めっちゃ優秀だな!」と思ったエスタークはその後、学校に来なくなり、学生寮で昼夜逆転生活でひたすらゲームをする生活に移行したw昼間はずっと寝ているので、僕は「コイツ、起きたら強いのにな。。。」という苛立ちとリスペクトを込めて、ある日「おまえは田無寮の『エスターク』だ!」と言った。この時、僕が勢いで言った「あだ名」をまさか40代半ばまで使うことになるとは当時の僕も、エスタークも、思っていなかっただろうw

小さな媒体でもいいので「自分の好きなこと」だけを書き続けたかった。

当時、大学のパソコンルームに並んでいたパソコンのOSは業務用の「WindowsNT」だったけど、学内掲示板に家のパソコンからアクセスしていた学生のOSは一般家庭向けのWindows95で、「この秋にはWindows98が出る!」と、当時の掲示板でもザワついてた。

「なるほど。なんかようわからんが、この『Windows』っちゅうモノ、ドラクエみたいにどんどん新しいバージョンが出て進化していくんやな。」

とパソコンに非常にウトい僕でもそれくらいのことはわかった。

そんな掲示板での雑文書きに没頭していると、夏休みになり、夏休み初日の「海の日」に、学内掲示板で出会った他大学の学生と湘南藤沢で人生初のオフ会をすることになり、エスタークも連れて行った。その時初めて会った他大学の学生は、この時代の学生ながらオフ会慣れしていて「世の中にこんな人種もいるんだ!」とビックリ。ちなみに僕もエスタークも、この時一緒にオフ会に行った同じ大学の学生も、この時初めて「Yahoo!」を「ヤッホー!」ではなく「ヤフー」と読むことを知ったw

「なんていうか東京ってすごいな。」と思った。その後、8月に帰省すると、神戸や姫路の学生はまだインターネットもしたことなかった。

夏休みが終わり、9月に寮の電話ボックスから新聞社に電話すると「ちょうど編集部のバイトが1人、もうすぐ辞めるとか言い始めたので、バイトの枠が空きそうです。」と言われたので、改めて新聞社へ!その後、すぐに憧れの新聞社の編集部でバイトすることに!

ただ、編集部で働き始めてすぐにわかったことは、新聞社の社員は「物書き」というより単なる「サラリーマン」だった。僕が新聞社でバイトを始めてすぐにWindows98が発売されると「もう紙の時代じゃなくなるんじゃないか?」って自嘲気味に言ってる社員もいて斜陽産業感を肌で感じた。

僕は残りの人生、ずっと文章を書いて生きていきたくて、地元の大学を辞め、東京の「マスコミに強い大学」に入り直したけど、そもそも自分が書きたい媒体は『マスコミ』ではなく、当時の言葉で言うと『ミニコミ』だと思った。小さな媒体でもいいので「自分の好きなこと」だけをいつまでも書き続けたかった。そして大手『マスコミ』といえど、新聞紙を手で配ってることには変わりなく、その時点で僕には学内掲示板より魅力がなかった。

そんなこんなで、神戸時代、あんなに憧れていた東京の新聞社の編集部でのバイトも1年半で辞めてしまった。もしかしたら、大学を卒業して新聞社の社員になれば生活は保障されていたのかもしれないけど、自分が書いた文章、自分が好きな文章を世の中に出すことが出来ないなら働いてても仕方がない。いや、そもそも生きてても仕方がないと思った。

新聞社の社員の入社同期・同部署の同僚という「ビジネスのストック」コミュニティよりも、学内掲示板のような「プライベートのストック」コミュニティのほうが楽しく、しかも自分もメンバーも関係が長続きしていくんじゃないか?と直感的に思った。ちょうど『就職超氷河期』『終身雇用は終わった』と言われ始めた頃で、高校時代の友達や最初の大学の友達が就職活動で苦戦していた頃だ。

「自分が書く雑文」にコミュニティがくっついてないと、僕の人生は意味がない、とさえ思った。

学内掲示板からメーリングリスト、mixi日記、はてなブログ、ワードプレス、そしてnoteメンバーシップへ!

大学3年の冬に田無寮にインターネット回線が引かれることになった。この頃には大学生の就職活動に『リクナビ』への定期アクセスが必須になったからだ。それを機に僕が速攻で秋葉原で買ったノートパソコンは就活そっちのけで「メールマガジン製造機」になっていた。

僕が東京の大学に入学直後からハマっていた学内掲示板は「大学内(一部他大学)」という既存のコミュニティの中での掲示板、という立ち位置だったが、この頃、流行り始めた「Yahoo! eグループ」などの『メーリングリスト』なら「メール」を通してネット上に『自分独自のコミュニティ』を作れるようになった。これは当時、流行り始めた大学の枠を超えた「学生団体」などの学生が多用しており、それをメールマガジンのように使う学生や若い社会人などもいた。

「これなら大学を卒業しても『自分のコミュニティ』が継続していくな。」

と僕は思った。個人が単発で書き込みをする「掲示板の時代」から、ネット上でコミュニティを形成する「メーリングリスト・メールマガジンの時代」が始まりかけていた。

ちょうど、その頃、日本のみならずアジア各地でネットカフェが激増していて、僕がよくアクセスしていた旅の掲示板にも「今、タイのカオサンロードのネットカフェからアクセスしてこの文を書いています」などとよく書き込みがあった。卒寮してアジアを旅している寮の先輩とも度々メールのやりとりもしていた。

そんなある日、田無寮の静養室でふと思った。

「アジア大陸を陸路と海路のみで横断しながら、各地のネットカフェから、まるで『冒険の書』を書いて旅の様子をセーブするようにメルマガを配信し続けたら面白いんじゃないか。」

そんなこと出来たら死んでもいいと思った。なんなら旅の途中で死んでも後悔しないと思った。

そう考えると就活なんてしてる暇はないと思った。

この東京の大学での学生時代は4年間、僕は田無寮という寮費月3千円の住居に幸運にも(?)住めていて、さらに僕は兵庫県出身の(優秀な)学生対象の給付型奨学金ももらっていたので、東京での生活費(家賃&食費)は極限まで切り詰めれば「年収0円で東京ハッピーライフ」状態だった(服は田無寮に落ちていた)。さらに僕は大学3年終了時点で単位をほぼ取得し終わっていたので、大学4年の1年間はボロ稼ぎバイトをしまくり、アジア横断の旅の資金を稼ぎまくるという作戦に出た。

ちなみにエスタークは昼夜逆転の田無寮でのゲーム三昧生活で授業に出ない日々が続いていたので、無事に留年が決定し、大学4年くらいから慌てて授業に行き始めたw僕は大学3年終了時点ですでに単位をほぼ取得し、この4年の時は「学生のようなフリーターのような」状態にいたので、そんなエスタークを見て「こいつ、あと何年、学生やるんだ。。。」と思ったw

エスタークは僕ほどは優秀ではないけど、僕と同じくらいのビンボー家庭出身者なので(田無寮のツーボトム・コンビw)、大学から温情で大学独自の給付型奨学金をももらっていたんだけど、それも留年したために打ち切られていたw

その2年後の2004年の春。アジア横断の旅から帰ってきた僕は、後輩が住んでた西早稲田の風呂なしアパートでバイトしながらmixi日記を延々と書き続けていた。僕の「アジア横断メールマガジン」の読者さんでIT系の仕事をしていた方が、まだβ版だったmixiの招待状を送ってくれたからだ。僕は当然どハマりして、mixiで少し有名になり、有名巨大コミュの管理人もして、コミュニティ参加者の要望により2005年12月には「花やしき遊園地貸切オフ会」も開催した。

その後は僕は実家の経営が本格的にヤバくなってきて(いやはや『平成不況時代』ですな。。。)、東京で時給の高いブラック派遣社員をしながら実家に仕送りを続ける毎日。そんな僕の人生でずっとネックになっていた「親の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』をやっと落ち着かせた頃は、僕は34歳になっていた。

大学を卒業してから30代前半まで関西で働いていたエスタークはひょんなことから東京で働くことになり、高田馬場に引っ越してきたので、僕は「エスタークとご近所さん」という田無寮生活の延長のような生活に再び戻ったw

その頃、はてなダイアリー&はてなブックマークで有名だった「株式会社はてな」がスマホ特化型のブログサービスを始めるという話を聞き、僕は「オワコンmixiの次はこれなんじゃないか?」と直感的に思った。

この頃は、はてなダイアリーで有名ブロガーだった「ちきりん」さんが新宿モード学園コクーンタワーの大会場で大規模に読者を集めたオフ会イベントを行った直後で、そのオフ会イベントにも参加していた僕は「これから始まる『はてなブログ』で新しいコミュニティを形成できるんじゃないかな?」と、ほぼ直感的に思った。

そんな鳴り物入りで始まった『はてなブログ』サービスもしばらくは鳴かず飛ばずな感じだった。しかも「はてなダイアリー」で長年、日記を書いていた人たちは新サービスの『はてなブログ』を警戒していてなかなかはてなダイアリーから移行したがならなかった。肝心の「ちきりん」さんさえ「はてなブログには移行しません宣言」をしていた。(現在はちきりんさんははてなダイアリーのサービス終了にて、はてなブログへ移行。でもブログのデザインははてなダイアリー風w)

そんな2013年秋ごろ、当時のブログ界隈で有名になり始めていた「イケダハヤト」氏がワードプレスからライブドアブログに移行してPVが跳ね上がり、いっきに有名人になった。さらに同時期にライブドアブログに引っ越した「はあちゅう」さんといっしょにライブドアブログのツートップみたいになっていた。

なかなか旧サービスから移行してくれない「はてなダイアリー」勢、そして強力なブロガー・ツートップが移行したライブドアブログの様子を見て、いよいよ焦りだした『はてなブログ』に2015年初頭から彗星のようにブログ移行してきた集団が『ミニマリスト』女子たちだった。どうやらブログ村の「ミニマリスト」カテゴリで「はてなブログのドメインパワーが強いからはてなブログに移行したほうがいい」みたいな話が出たっぽい。

当時の断捨離ブームにも乗りに乗った『ミニマリスト』勢は、はてなブログでガンガンオフ会を行い始めて、毎回、ミニマリスト女子や若いはてなブロガー男子で満員御礼。そのチャンスを窮地の『はてなブログ』が見逃すはずもなく、当時のはてなブログTOPページの『注目のブログ』はミニマリスト女子ブログの新着記事で埋まっていた。

元々ミニマリスト生活(というかビンボー生活)で、「ブログでオフ会」をしたかった僕もそのチャンスを見逃さなかったw本来アメリカの『ミニマリスト』はどちらかというとジョブズやザッカーバーグのような経営者にしろ、ミニマリストブロガーにしろ、男性がメインだったので「男性ミニマリスト」というだけで日本では差別化できると思ったし、パソコンやブログ運営に疎い若いミニマリスト女子にもいくぶんかブログ運営のアドバイスができるんじゃないかと思った。

そして僕はすぐさま自分のブログをミニマリストブログ化し、ミニマリスト系の記事を毎日書き続けていると、予想通り『注目のブログ』に載り続けた。さらに主に若いミニマリスト女子向けに「はてなブログ」自体の運営記事やブログテクニックを書くと、いつの間にやらはてなブログで「A1兄さん」と呼ばれ始めたwちなみにこの頃、ミニマリストオフ会に頻繁に顔を出して「今度、ミニマリストの本を書くんですよ」と言っていたのがミニマリスト佐々木さんw

さらにこの頃、ミニマリストブログ以外で唯一『注目のブログ』に載り続けていた雑記ブロガーのヒトデは、そもそも「すべてのブロガーが好き!」という変態特異体質で、そらから数年後にブロガーのオンラインコミュニティとスペースを運営することになる。ちなみに2015年11月3日の「ヒトデ会」は、ほとんどミニマリストオフ会だったw

でもそんな『はてなブログ』でのブロガーコミュニティもmixi同様、数年でオワコン化し、2018年頃から『はてなブログ』からワードプレスへ移行するブロガーが増え続けた。それを手助けする「羽田空港サーバー」さんなどのブロガーも登場して、時代はいっきにワードプレスへ!!

僕もそこから3年ほど、はてなブログで様子を見ていたけど、2021年1月からこのワードプレスへ移行して、念願の独自ドメインに!ここでやっと1998年から僕が目指していた『小さいながらも自分のメディア』を持てたとも言える。

ただし、『はてなブログ』に比べてカスタマイズやマネタイズがしやすいワードプレスだけど、10年くらいまえからブロガー界隈では、ワードプレスはずっと孤独に記事を更新し続けないといけない『陸の孤島』だと言われていた。それがオフ会好きの僕がワードプレスにすぐに移行しなかった理由でもある。

『はてなブログ』では相変わらず、2020年のコロナ禍になってからも緊急事態宣言が解かれる度にブロガー達がオフ会を開いて楽しそうにワイワイやっている感じだった。

そんなコロナ禍が落ち着いてきた2022年6月上旬、note株式会社が7月から『noteメンバーシップ』というサービスを始めるらしく。ちょうど上記のつぶやきをしたこの日2022年6月13日午後、僕はnoteが主宰するZoom説明会に参加していた。『noteメンバーシップ』に関して詳しく知りたい方は▼こちらをどうぞ。

あなただけの月額サブスクを作れる 「note メンバーシップ」

Zoom説明会が始まる前の午前中、僕はいつもの高田馬場の公園をウォーキングしながらこう考えていた。

「この街でかれこれ四半世紀ほど、インターネット上に雑文を書き続けてきたなぁ。」

人生は続く。。。

あ、エスタークは土曜日の今日はずっと眠っていますw

ちなみに四半世紀前は田無寮のビンボー人ツーボトム・コンビで、いつもおカネがなくて、田無寮の近くのスーパー『マルサン』の特売で買ったチョコチップスティックをかじっていた僕らは、30代で奨学金を全額繰り上げ返済し、エスタークは30代後半、僕は40代前半で親に貸していたおカネが戻ってきたので、最近は高田馬場をウォーキングしながら投資の話ばかりしていますw

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