人生の中でコミュニケーションにつぎ込める時間(=y)は人により多少、多い少ないはあるものの限界はある。
で、入手したカードを1度『アイテム化』するために消費する時間を「z」とすると、人生全体における時間「y」における「z」は、
z/y
となる。
そうなると人生におけるコミュニケーション可能回数を「t」とすると、
y=z/y+z/y+z/y+z/y+・・・・
=z/y×t
となり、
0≦z≦y
であるから、いかにzを小さくするか、でtの回数が変わってくる。
つまりコミュニケーション全体における「無駄撃ち」をより少なくしたほうが、残りのyもzも有効に使え、かつ手持ちの(A1,B1)関係のカードもより多くなる可能性も、より速く増える可能性も高くなることになるのではないだろうか?
mixi以前の「世界」では、この「無駄撃ち」がかなり多く、そのうえ、肝心な時に弾(=z)が撃てない、という状況が多くあったんじゃないかと思う、いや実際多くあったと断言してもいい。
ちなみにそういう意味では寮やゲストハウスやドミトリーという制度はかなりいい。
なんせ集団で生活しているため、カードとカードのアクセスタイムがほとんど0なんだからzの消費量がきわめて少ない。
zが格安なためにアイテム化が極めて容易であるため、寮やゲストハウスやドミトリーの住人とは(A1,B1)関係になる確率がかなり高い。
「遠くの親戚より近くの他人」とはそういうことだろう。
ただ、実際は諸々の事情により、そういうわけにもいかないし、どれだけいっしょに暮らしてても(A1,B1)になれないカードと同室・相部屋になると悲惨である。
なので、基本的にはカードとカードの間には最低限必要な「隔たり」ができる。
『アイテム化』するためにその「隔たり」を埋めるのが「z」であるとも言える。
そこに登場したのがインターネット。
mixi以前にあった「メルマガ」というツールも「出会いの有効活用」、つまりzの省エネ化によるtの増進、という点についてはそれ以前の「世界」よりはかなり良くなった。 けど実際会ってみると、
「メルマガ読んでましたよ~!」
っていう人でも細かい質問すると「ああ、ほとんど読んでないな」と思うことがしばしば。
「いや、そんな細かい質問するなよ!」と言われればそうかもしれないが、こっちは「カード探し」するために東京で貧乏生活してるわけだから(A1,B1)カードが入手ができなければ生きている意味がない。
もっとわがままに「メルマガ」の欠点を言うと「読んでほしくない人にも読まれてしまう」というところだ。
僕の場合、「ブログ」というものの存在は「mixi」のあとに知ったのだが、さほど興味を持たなかった理由もそれかと思う。
(注:このブログ文章は僕が2007年にmixi非公開日記に書いたものを2013年にリライトしたものです。)
ま、そんな余裕がなかったとも言えるが、それでも興味があればmixi日記書かずにブログ書いてたはずだからね。
つまり、
・B1の人がわかる
(足あとで)
・A1の人にしか読ませない
(定期的なマイミク整理で)
という意味では(A1,B1)な「カード探し」する人にはmixiは持ってこいのツールになったと思う。
で、ここで「カード探し」する人、と書いたが、僕の持論は、
2004年以降の人類は、否応なく、「トレーディングカードゲームの舞台(=この現実世界)」に引きずりこまれ、死ぬ(y=0)まで「このゲーム」をプレイし続けることになる。
というもの。
いやまぁ、別にこれはかなり大袈裟な書き方で、実際、そんなことしなくても普通に仕事して、普通に生きていけばいいのだが。。。
例えばネットを使いこなすことができる人と使いこなせない人では「情報格差(デジタル・デバイド)」が生まれているように、SNSを使いこなせないことによる「無駄撃ち」(zの大量消費)による「交流格差(コミュニケーション・デバイド)」がこれからも大きくなっていくような気が個人的にはする。
SNSを使いこなせない人はなにをやるにしてもミスマッチ続きで、逆にSNSを使いこなせる(「使う」ではなく「使いこなせる」)人はzを極力抑えられるので、雪だるま式に(A1,B1)カードが入手でき、夢や目標を叶え続けていく。
『A1能力』による「所得格差」、
それによる「情報格差」、
そしてそれによる「交流格差」。
この3つの格差がこれからの世界を新たな格差社会にしていく気が僕にはします。
それが僕の『A1理論』!
https://a1riron.com/entry/2013/08/23/213129
~追記~
この記事は2007年9月16日のmixi日記のリライトです。
当時は上にも書いてあるように、僕はブログには全く興味がありませんでした。
僕がmixi始めたのが2004年3月6日だったので、「ブログ」という言葉はその後に知りました。
当時の僕にとって、ブログとは、
「mixiよりつまらない日記サイト」
という認識でした。
mixi日記でいいじゃん、と。
理由は上にも書いてあるように(A1,B1)な「カード探し」が主目的だったからでしょう。
で、ブログ・SNSがほぼ同時に始まってから約10年が経ち、今は「第二次ブログブーム」と言われ、8月に「ブロガー・サミット」も行われました。
僕が考えている「第二次ブログブーム」の要因はいくつかあるとは思いますが、僕は「mixi疲れ」が大きな要因だと思ってます。
「mixi疲れ」→「誰もログインしない」→「日記書いても誰も読んでくれない」→「twitterやfacebookはタイムライン上ですぐに流れて行ってしまうし、長文が書けない」→「それならブログにしちゃえ!」
みたいな。実際、僕がこのブログを始めたのがだいたいこの流れです。mixiの足あと制度もなくなって「訪問者」という微妙な制度になっちゃいましたしね。。。
(むしろ、かつてのmixi自体が「元祖SNS」というより「ブログっぽいSNS」だったのかもしれません)
僕のこの『A1理論』ブログの目的は、このブログによって少しでも「ソーシャル疲れ」から解放される人がいれば、と思って運営していますが、僕の個人的な運営目的はmixi時代と変わらず(A1,B1)な「カード探し」です。
『A1理論』的に言うとこのブログは「B1度測定マシン」。
リアル友達にこのブログを見せて、どれだけ食いついてくるかどうかで「B1度」と、それ以降の「t」を判断する、という作戦ですw
それなら、ちょっとだけ仲のいい人や飲み会で1度会っただけの人とわざわざfacebook友達にならずとも、このブログのURLをスマホに送るだけで「B1度」がわかりますからね。
ものすごく反応した人だけ、facebookで友達申請する、というのもアリかと今は考えています。本当、まさしく「カード探し」の旅ですねw
逆にリアル友達でもこのブログにあまり反応しなかった人は少しずつ「t」を削減していきます。今の僕、そしてこれからの僕の中では「このブログ」という『A1キーワード』が重要であり、『脳内占有率』がかなり高いからです。
さらに(A1,B1)状態でないとお互いを『アイテム化』した場合の『A1能力』の威力が弱まる、というのが僕の考えです。
なぜそうなるのかというと、やはり人間は『A1キーワードの奴隷』だからだというのが僕の考えです。
そして、一か月ほどこのブログを続けてわかったことは、友達にこのブログのURLを教えたり、twitterやfacebookのタイムラインで流すと、人によって以下の4種類の反応があるということです、
①全く読まない
②読むけど『A1理論』を理解できない。
③読んで理解するけど『A1理論』が重要だと思わない。
④読んで理解して、さらに『A1理論』が重要だと思う。
です。
ま、『A1キーワード』やその『脳内占有率』は人それぞれだし、「y」にも「z」にも「t」にも『限界』がある、というのが僕の『A1理論』なので「全く読まない」というのも別に悪いことではないとは思います。
(でもまぁ、僕の「y」にも「z」にも「t」にも『限界』があるので、、、、)
で、mixi日記と違い、ブログの「誰でも読める」という特性は今の僕は実は少し気に入っていて、もし将来、
「このブログを書いている人、誰???」
みたいに探し回ってくれる人、または「六次の隔たり」を越えて本当に会いに来てくれる人が目の前に現れたらめっちゃくちゃ嬉しいかな、と今は思ってます。
なので、実名は出さずに親しい人にだけ教えています。
(そしてそういう人が現れるくらいがんばります!)
ま、ソーシャルメディアも時代とともに変わっていくし、僕自身の『A1キーワード』とその『脳内占有率』も時代とともに変わっていく、ということで。
次回はmixiの将来を勝手に心配します!w