ストア派らしい発言ですね!セネカさん!
さすが、
「質素倹約を旨とするストア派の哲学者でありながら野心を露にし、強欲と無実の罪をでっち上げ、多くの人物を冤罪に貶めたことで財を成した!」
と糾弾されただけのことはある!!
しかし、この言葉、いいですねー。
『欲望の量を減らす』ことこそが、『幸福』に繋がるんだと。
本当、ストア派いいわー。
俺、ミニマリストを卒業したらストア派になろうかな(笑)
「俺はミニマリストではない!ストア派だっ!!」
みたいな(笑)
ミニマリストブログではなく、ストア派ブログ(笑)
そう言えばジョジョの第3部で、DIOが突然、エンヤ婆に向かって、
「生きることとは?」
と尋ねた時(しかし、いきなりそんなこと尋ねるか、普通w)、
エンヤ婆は、
「欲するものを手に入れること」
だと答え、
「人間が生きる理由はそれだけ」
だと断言します。
それに対してDIOは、
「生きることとは恐怖を克服すること」
だと言います。
このやりとりはストーリーとほとんど関係ないのに、やたら深い、と僕は思います。
セネカに言わせれば、エンヤ婆は一番、不幸な生き方をしていることになるんじゃないかな。
「欲望」って、欲しても、欲しても、際限なく湧き出てくるものじゃないかな、と思います。
もし、「終わり」があったら、あったで「賢者モード」になってむなしくなるだけ。
ドラクエで全員レベル99になったら冒険の書を消したくなるように。
セネカはそう言いたかったんじゃないかな、と思います。
なので、僕的にはDIOの生き方のほうが最適解なような気がします。
じゃあ「恐怖」ってなにかな?
僕は「恐怖」は、
なにかに「依存」していることから来ることが多いんじゃないかな?
と思います。
モノがあると、モノがなくなることが「恐怖」だし、
家があると、火事等で家がなくなることが「恐怖」になると思うし、
高級車があると、車に傷ひとつつくことが「恐怖」になると思う。
DIOだって、ジョナサンの身体に「依存」しているからこそ、自分を追ってくるジョースター一行に「恐怖」しているわけだし。
日本人の多くは、年金やるやる詐欺の「国」や、終身雇用してやる詐欺の「会社」に「依存」してるからこそ、生きることに「恐怖」を覚えるんじゃないかな、と思います。
自分の身体以外のほとんどのものに「依存」することを最小限にすることが、本当に「生きる」ということなんじゃないかな、
と僕は思います。
あ、こんな体調崩してるやつの記事が『バズってどうする!?』