『生きること』を理解していますね!マーフィーさん!
さすが、悪性腫瘍を「潜在意識への呼びかけ」による心理的療法によって、完治しただけのことはある!!
(ちなみにマーフィーの法則のマーフィーさんとは全く関係ないらしいですw)
しかし、本当にこの言葉の通りなんじゃないかと最近、よく思います。
お金がなくても『向上心』がある人を見ると、
「ああ、あの人は『生きてる』なー!」
と僕は思います。
逆に、お金があって、しかも実家暮らしなのに『向上心』が全くない人間は、
「あの人『生きてる』のかな??」
もしくは、
「『生きている』意味、あるのかな??」
とさえ思ってしまいます。
※個人の意見です
両者の違いはたぶん『生きている』ことの定義が違うんじゃないかと思います。
向上心のない人は、たぶん、
『呼吸をすること』=『生きていること』
なんだろうな、と思います。
逆に向上心のある人は、たぶん、
『常に自分のバージョンアップを繰り返すこと』=『生きていること』
なんなのじゃないかな?と思います。
僕的にはどちらも楽しければそれはそれでいいとも思います。
が、自分をバージョンアップしない人生が楽しいともあんまり思いません。
次の問題は『バージョンアップ』の定義だと思います。
昭和の時代、大量生産大量消費の時代はとりあえず、
働け!働け!働け!作れ!作れ!作れ!
それこそが『バージョンアップ』であり、それ以外は『バージョンダウン』だったんだと思う。
完全に『個人』『企業』『国家』が同じ方向を向いていた。
だって、作れば作るほど売れたんだし、今ほどコンピューターもロボットも発達してなかったから人が手を動かすしかなかった。工場制手工業ですね。
でも、この今の時代、
『個人』の向上心
『企業』の向上心
『国家』の向上心
は必ずしもイコールではない。
いやむしろ、『企業』や『国家』なんかの戯言にマインドコントロールされてたら超絶コスパの悪い人生を送るハメにもなりかねない。
※個人の意見です。
なので、我々『個人』は、
『個人』の向上心
だけを強烈にもっていて、
『企業』の向上心
『国家』の向上心
に関しては、話半分というか、ぶっちゃけどうでもいいというか、聞いてるふりだけしてりゃあいいと思います。
「日本はイザナギとイザナミが海をかき混ぜて作られた国で、最初に出来たのが淡路島で、、、」
みたいな『神話』を聞くような感じで、
「へー、そうなんですかー。」
って、聞いてるふりだけしてりゃあいい。
真面目に生きりゃ、バカを見る。
※個人の意見です
国も企業も滅ぶときは滅ぶ。
それは自然の摂理だし、そういう『流れ』だ。
おごる平家も滅んだし、天下を取った信長も打たれた。
そういう『流れ』だったんだ。
そんな『流れ』に一個人が頑張って抗っても、そんな生き方はコスパ劇悪だ。
時代の『流れ』だけは正確に理解しておいて、ちゃっかり、個人のスキルや知識や仲間だけをコツコツと増やしときゃあいい。
21世紀は『個人の時代』。
前時代の『向上心」に全財産・全生命を賭けてたら最終的にはバカを見ると僕は思ってます。
コツコツと個人の向上心を磨いて、タイミングを見計らって、沈みそうな船から脱出する。
それがこの時代、一番『向上心』がある人間の考え方になるんじゃないかと僕は思います。
※個人の意見です。
で、『向上心』を持って『バズってどうする!?』