バックパッカー本を多く書いている▼蔵前仁一さんという人がいる。
その蔵前さんが何かの本で、
「『海外一人旅』なんて、時間とカネがあれば、誰でもできる。」
というようなことを書いていた。
元バックパッカーの僕もこれと全く同じ意見で、
「外国を個人旅行するなんてすごいですね!!」
「外国のゲストハウスのドミトリーで寝るなんてすごいですね!!」
「インドに2ヶ月いたなんてすごいですね!!」
「アジアを陸路で横断したなんてすごいですね!!」
とか言われても、
「いや、それ、時間とカネがあれば誰でもできるからwwww」
とずっと言ってきた。
けど、ここ最近は、
「いや、『旅』をできる人って『旅ができる才能』があるんじゃないかな。あまりにも自分では簡単にできるから『才能』と認識してないだけで。」
と、考えるようになってきた。
いや、「旅ができる才能」なんて、それだけで食っていけるようなレベルの100万人に1人くらいしかない『類まれなる才能』ではないとは思う。
けど、パスポート所持率25%程度の日本人の中で、さらに個人旅行(旅行会社を通さずに個人で旅行手配)ができ、さらに長期で海外一人旅ができる、というのは、100人に1人くらいの才能なのかもしれない。
『才能』って、他人のほうが自分より理解していることが多いと思う。
この世で自分しかいないなら、それは『才能』ではないのだろう。
けど『才能』って、自分と、その他の人間の平均値からどれだけ「偏差値が高いか?」できまるような気がする。
「海外一人旅ができる。」というのは『旅』という点に関しては、それだけで偏差値58くらいはあるのかもしれない。
早寝早起きできる『才能』。
満員電車が苦にならない『才能』。
ブログを書き続けることができる『才能』。
これらも『才能偏差値』でいうと55くらいはあるのかもしれない。
もしかしたら、
「部屋を片付けることができること」
とか、
「毎日、自炊できること」
も、ちょっとした『才能』なのかもしれない。
本人も気づいていないだけで。
で、そう考えると、
「東京で働ける」
っていうのも、ひとつの『才能』なのかもしれない。
というのも、
僕は「東京で働く」なんて、誰でもできると思っていた。
東京なんていくらでも仕事募集しているし、
田舎から出てきた人間も多いし、
日本語カタコトの外国人も働いているし、
交通機関が整ってるので車や免許なくてもいいし。
けど、地元の友達とかから言わせると、
「東京で働いていること」
って、ものすごいことらしい。
「いや、単なる派遣社員だし、仕事なんていつでもめっちゃ募集してるし。」
と言っても、それでも「すごい!」ってなる。
確かに同年代の地元の知り合いが、若い頃、とある「夢」を抱いて東京に出てきた。
けど、3ヶ月くらいですぐに田舎に帰った。
後から聞いてみると、
「東京では『生きていくだけで精一杯』やった。」
って、言ってた。
「え!?」
って。僕は思った。
彼は「夢」を叶えるどころか、バイト探しに奔走しただけの、たった3ヶ月の「東京生活」で、「もうあかん!」となって、田舎に帰ったらしい。
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東京で働いていると、周りの人も当然、東京で働いている人間ばっかりなので、
「東京で働ける」
ということが前提ですべてが動いているけど、、、
そもそも、
「東京で働ける」
ということ自体が10人に1人くらいしか持ってない、ちょっとした『才能』なんじゃないかな、って、最近、よく思う。
ま、こんなこと、東京で普通に働いている人に言っても、
「はぁ???」
って言われるだけだし、逆に、田舎の人間に言ったら、
「それ自慢???」
と言われるのがオチだから、
ブログに書くしかないwww
こんなこと書けるなんて、ブログって、超便利だ!!!www