▼イソップ童話で「町のねずみ」と「田舎のネズミ」の話がある。
Wikipediaから抜粋すると、、、
【あらすじ】
田舎に住んでいる一匹のネズミが、御馳走を振る舞おうと仲の良い町のネズミを招待した。
二匹は土くれだった畑へ行き、麦や玉蜀黍、大根を引っこ抜いて食べていたのだが、町のネズミがこう言った。
「君はこんな退屈な生活によく暮らせるな。ねえ、僕のところへ来ない?そうすれば珍しいものが腹一杯食べられるよ。」
田舎のネズミは二つ返事で承知すると連れだって町へと向かった。
ある建物に着くと町のネズミは、パンやチーズ、肉といった見た事も無い御馳走を田舎のネズミに見せた。
めくるめく御馳走を前に田舎のネズミはお礼を述べ、食べようとした。その時、何者かが扉を開けてきた。二匹は潜りこめる狭い穴をみつけると一目散に逃げ込んだ。
そして、彼らが食事を再開しようとすると、また別の誰かが入って来た。すると田舎のネズミは、急いで帰り支度を整えてこう言った。
「こんなに素晴らしい御馳走を用意してもらってすまないけど、こんなに危険が多くてはとても楽しめません。僕には土くれだった畑で食べている方が性に合うのです。あそこならば、安全で怖いこともなく暮らせますから。」
【教訓】
幸せは人それぞれで、
満足できる形や安心できる場所は異なる。
いわゆる、
「田舎者は帰れ!帰れ!」
系の話ですなw
僕は『東京で働ける』というのも、ひとつの▼『才能』だと思っている。
「東京で働ける」という『才能』。 - A1理論はミニマリスト
「田舎者は帰れ!帰れ!!」
と行く手を阻むエジンベアの門番の横をすり抜ける「きえさりそう」の役目を果たすのが『東京で働ける』という『才能』なんじゃないかな、と思う。
(例えがマニアック過ぎるなww)
けど、
『東京で働ける』
のと、
『東京に馴染める』
のは違う気がする。
『東京で働ける才能』がある人間が、必ずしも『東京に馴染める』わけではないと思う。
ちなみに、僕は18年いても全く馴染めてないw
東京に馴染めないけども、経済的な理由で東京に住まざるを得ない田舎のネズミが、▼「シェアハウス系ミニマリスト」や「神田川系ミニマリスト」なんじゃないかな、って思う。
ミニマリストを『家』別に5タイプに分類してみたよ!それぞれのタイプの愛読書も紹介!(追記で計6タイプになりました) - A1理論はミニマリスト
田舎に20年いて、東京に出てきて18年の僕が最近、思うのは、
「『町のネズミ』は『数字病』の感染源なんじゃないかな?」
ってことです。
『町のネズミ』は『数字』が大好きだ。
生まれてすぐに『スクールカースト』に組み込まれ、
中学受験・高校受験・大学受験と、偏差値ごとに振り分けられ、
就職活動期に入ったら、少しでも年収の高い企業を目指し、
働き始めたら、毎日、数字!数字!数字!を求められる。
そんな生活に何年も染まってしまってから、田舎に帰ったり、田舎のゲストハウスに泊まったりすると、
『数字の呪縛』
から解き放たれたような気がして、ものすごい開放感を覚える。
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で、改めて、
「東京は『数字病』にかかっとるな。。。」
と思う。
僕は好きで東京に行ったし、30代前半までは「親の借金」と「学費の借金」という『双子の赤字』を返済するために、通帳に印字された数字を上げることばかりを考えていたから、そこまで『数字病』には気づかなかった。
というか、完全に自分も『数字病』に感染していたww
でも、田舎に残った同級生とかは『数字病』は大っ嫌いだと思う。
ずーーーーっと、「田舎」というアナログな世界にいる人間は『数字病』という「町のネズミの論理」に組み込まれるのを非常に嫌う。
逆に、生まれてから今まで、町でしか生活したことのないエスターク(学生寮時代の同室)にそういう話をすると、
「田舎の人間はなにを甘いこと言うとんねん!!世の中、数字!数字!数字や!」
と、言ってた。
そう言えば、昔、カンボジアのゲストハウスで出会った20代の旅行者が、
「アジアは都会より田舎のほうが絶対におもしろいじゃないですか!?」
って言ってて、同じ20代だった僕は首をかしげてしまった。
20代の僕にしてみれば、アジアの田舎も、日本の田舎もほとんど同じ光景で、田舎が嫌で嫌で東京に出てきた僕からしてみれば、田舎なんてたいくつでしかたなかったし、アジアも東京も、都会こそが刺激的で、多様性のある世界だった。
学生寮があった田無でさえ、僕的には田舎過ぎて嫌だった。
なので、その旅行者の言葉に対しては、
「おまえはなにを言ってるんだ!?」
的な気がした。
けど、僕も東京生活が長くなってくると、その(当時)20代の旅行者の気持ちもわかるようになってきた。
おそらく、彼は、東京生まれ、東京育ちの、
「町に消耗しきった、町のネズミ」
だったんじゃないかな?
おそらく、世の中には、大きく分けて、
●町に住み続けたい、町のネズミ(エスターク)
●田舎に住みたい、町のネズミ(カンボジアで会った人)
●町に住み続けたい、田舎のネズミ(シェアハウス・神田川系ミニマリスト)
●田舎に住み続けたい、田舎のネズミ(田舎の同級生)
と、
●田舎から町に出てきたけど、やっぱり田舎のほうが性に合うネズミ(A1理論w)
の5種類のネズミがいるんじゃないかな?
ここで言う「町」「田舎」の定義は様々だけど、、、
東京で言うと、中央線の三鷹から西の方はなんとなーーーく、「田舎」な感じがする。
▼『20代で隠居』の人も東京(杉並区)に消耗しきって、多摩地区で隠居生活中だ。
大原扁理さん著『20代で隠居』第3章「隠居に至るまで」は若者が隠居に至るまでの現実がリアルに描かれています! - A1理論はミニマリスト
関西で言うと、「都会」と「田舎」を分ける境界線は、
明石の子午線あたりなんじゃないかな?
と思う。
だから姫路人と神戸人の会話は永久に平行線だwww
姫路人は『数字病』を町から運んでくる神戸人が大っ嫌いだし、
神戸人は同じ兵庫県なのに『数字病』に染まらない姫路人が大っ嫌いだww
田舎のネズミから言わせれば、
数字なんて誤魔化すことができまくるし、数字だけを上げるだけのスキームを持っている人間の勝ちだ。つまり完全な出来レースだ。
イギリスのチャーチルは、
「私は自分が集計した統計しか信じない!」
と言ったらしいが、これは名言で、数字のマジックなんていくらでも操作できる。
それなら数字を操作した人間の勝ちじゃん。
田舎のネズミはそんなくだらない『数字病』世界に組み込まれずに、田舎でマイペースに生きていくほうが人生コスパがいいのだろう。
『数字病』は『黒死病』に似ている気がする。
感染するとそのうち、消耗しきって死んでしまう病のような気がする。
町に出てきたはいいけど、『数字病』にほとほと疲れたネズミは、学費を返済したら、のんびりできる田舎に逃げるのが一番の得策な気がします。