『ピンチ』は『チャンス』!
『チャンス』は『ピンチ』の顔をしてやってくる!
とか、よく言いますよね?
確かに、落ち込んでいる人を勇気づける言葉としては100点満点かそれ以上だし、ミニマムに要点は収まっている言葉だ。
ただ、正確性を期すると、この記事のタイトルのような言葉になるんじゃないかな?
人生には『ピンチ』も『チャンス』もない。
ただ、「起きている事象」を利用する知恵があるか、ないか。
究極的に言うと、
『ピンチ』も、『チャンス』も、自分を含めた人間が勝手に定義した『事象』でしかない。
もっと言うと、
そんなの『宗教』でしかない。
大自然で、津波が起ころうが、山崩れが起きようが、それは厳然たる、大自然の摂理であり、単なる『事象』でしかない。
地球のいち種族であるだけの人間がそんな、大自然の摂理に、勝手に『ピンチ』だ、『チャンス』だ、と、定義付けして騒いでいるだけに過ぎない。
そんな大自然の摂理は、なにも自然界だけのことじゃなくて、我々の日々の細かな人間関係や利害関係も、究極的に言えば、大自然の摂理の一部なんじゃないかな?
とある犯罪者が犯罪に至るまでの道程も、すべて「大自然の摂理」の結果であり、その結果に「良い」も「悪い」ない。
それを定義づけているのは、たかだかここ数千年くらいに地球上に出てきた新人である人間だ。
いや、犯罪、特に重犯罪を犯した人間は、法で裁かれるべきだとは僕も思うよ。
でも、その「法で裁かれる」ことも、自然の摂理の一部だし、僕がそう考えるのも、自然の一部だし、こんなわけのわからないことをブログに書いている僕も自然の一部だw
まぁ、なんだかよくわからなくなってきたけど、この世界には『ピンチ』も『チャンス』もなくて、もっと言えば『良い』も『悪い』もない。
ただただ、純然と、
『自分のやりたいこと』
だけがあり、
この世界で起こりうるすべての『事象』を、
『自分のやりたいこと』に向けて、どう利用するか?
を考える知恵があるかどうか、だけだと思う。
知恵がないなら、
『自分のやりたいこと』が、
「その程度」だったってことで。
本当にそれがやりたいのなら、常にそのことばかりを考えているはずだし、そのベクトルの上で、すべての『事象』を捉えることだろう。
よほどのお金持ちでない限り、カネなんてないんだから、どうにかして、
『自分のやりたいこと』
についてハングリーになるのが、人間の正しい生き様なんじゃないかな?
その上で、「起きている事象」をすべて『チャンス』に結びつければいいわけで。
我思う、故に我あり。
我に『夢』がある限り、我はある、ってことで!!
えっ!?
僕の『夢』????
隠居!!!!!wwwww
働きたくないでござる!!!
絶対に働きたくないでござる!!!ww