ミニマリストを語る上で『貧乏』『裕福』という論争は絶対と言うほど出てくると思います。
ま、僕からしてみれば、▼その論争自体が意味ないんだけど、、、
日本人がミニマリストを「貧乏人扱い」するのは妖怪『ムダヅカイ』の仕業だっ!!! - A1理論はミニマリスト
で、そもそも、
『豊か』な人
って、どんな人なんでしょう?
おカネを持ってる人?
ブランド物を持ってる人?
イエを持ってる人?
友達が多い人??
僕は、
すべての人間の存在を『肯定』できる人
こそが、本当に『豊か』な人のような気がします。
すぐ、人を否定する人っていますよね?
「いや、おまえは間違ってる」
「その考えはおかしい」
「常識がない」
とか。
でも、その人がそこに存在してることは『事実』なんだから、
『事実』を否定しても仕方ないでしょう。
僕的には、そうじゃなくて、やっぱり、
すべての存在を『肯定』できる人
こそが、一番、豊かな人なんじゃないかな、と思います。
誰でも、自分の考えを否定されたら腹立ちますし、存在そのものを否定されたら、逆に、存在を否定した人の存在を否定したくなります。
そりゃあそうでしょう。
犯罪者が犯罪を犯すのも、たぶん、その人の『存在』自体を否定された『報復』なんじゃないかな、と、僕は思います。
でも、それって、なにも生み出さないどころか、報復の報復、という『目には目を』という報復ゲームが永久に続き、最後の最後は核戦争にまで及ぶかもしれなません。
だから、最初に、
存在を『肯定』できる人
なら、なにも余計な争いを生むことはないのだ。
こういう人が、一番、『豊か』なんじゃないかな?
人の存在を『否定』する人こそ、どれだけおカネを持ってても、
品性が貧しい。
いや、人間社会であるには『法律』は守らないといけないよ。当然。
でも、その『法律』だって、人が作ったものだし、人が作ったものである以上、完璧ではない。
なので、『法律』を破った者にも、それに至るまでの『理由』があったはずだ。
その『理由』も含めて、すべて『肯定』できる人こそが、おカネはなくても『豊か』な人なんじゃないかな、って思う。
いや、なにも、すべての人と仲良くしろとか言ってるんじゃない、仲良く出来ない人(A2な人)がいるのは当然だし、『人生の残り時間』という貴重なリソースをどういう人と過ごすか選択する権利は、当然、全人類に与えられている。
けど、自分と合わない人の存在を『否定』するのは、『貧しい』人だと思う。
なぜなら、そこに『存在』しているのだから。
そこに『存在』しているだけで、もうその人の『存在』する理由はあるのだ。
なので、
『存在』を否定してはならない
と、僕は思う。
たとえ犯罪者でも。
真に『豊かな人』ならば、すべての『存在』を肯定したうえで、物事(善悪・好悪)を考えるべきだ。
『存在』自体を否定してはいけない。
だって、『存在』してるんだから。
他人の『存在』を肯定できるかどうか?
これこそがその人を『豊か』か『貧しい』かを判断する基準なんじゃないかな?
そこに『富』があるか、ないか、は、ほとんど関係ないように、僕には思えます。
※個人の意見です。