なんか、
今、ぜんぜんブログを書きたくない気分だ。
書きたい記事は全部、紙に書いてストックされてるんだけど、
それよりもなによりも『読みたい気分』のほうが勝ってしまっている。
今日は今までずっと寝てて、パワーはそこそこ回復してるはずなのに、ちっとも書く気がない。
これって、なにかのバイオリズムなのだろうか?
『書きたい気分』の時は、バーッと書けるけど、そうじゃない気分の時は書けない。
でもこれはブロガーとかに限らず、誰でもそうなんだろうな。
だから、ブロガーは予約投稿したり、書けなくなった日が続くとブログやめちゃったりするんだろうな。
これが人間の自然なバイオリズムなんだろう。
そう考えると、『仕事』ってすごいな。
やる気のない時も、やる気のある時も、一定のパワーを出さないといけないんだから。
ま、普通の人間はそれが出来るのかも知れないけど、俺は定時退社の派遣社員でさえ無理だ。
で、それをやると、今のようにしばらく充電期間が必要になってくる。
みんなすごい!
って思うけど、
「頑張り過ぎなんじゃない?」
って、他人事ながら心配になる時もある。
ま、それだけ頑張れる人種なんだろうな、みんな。
俺には無理だ。
で、話を戻すと、
『書きたい気分の時』
と、
『読みたい気分の時』
って、人間にはあって、
人生における「その時間」の占有率で、人は『書き手』か『読み手』のどちらかになるんだろうな。
これは野球とか、音楽とかにも似てるような気がする。
ほとんどの人間は野球を見る占有率のほうが高くて、時々、やりたくなったりもするけど、それはもう草野球とか、もっと言うとバッティングセンターとかでいいって感じで、他のこと、例えばゴルフとか、旅行とかも楽しみたいんだろうなぁ。
なので、いくら野球が好きでも、
甲子園目指して!
とかは、
「かんにんかんにん。」
みたいな。
歌にしても、カラオケとかは好きだけど、プロを目指して!ほどは目指したくない、せいぜい、趣味でバンド組んだり、動画で「歌ってみた」シリーズをアップするくらいだろうな、それでも少数だろうけど。
ま、それは旅にも言えるのかも知れない。
僕の地元の友達とか、
「中国に行ってみたい」
とか、
「南米に行ってみたい」
とか、
「イタリアに行ってみたい」
とか言うものの、、、
ほとんど行かない。
もうね、
「口だけか!」
って思う(笑)
そんなのを見ると、
「旅をする」
って言うのもひとつの『才能』なんだろうなぁ。
そう考えると、
『○○したい気分の時』
が人生の多くを占めるのは、その時点で、
『○○する才能』
があるんだろうなぁ。
だって、
ほとんどの人はそこまで占有率が高くないから。
かってに継続率が高くなるから、「継続は力なり」の法則で、勝手に経験値があがっていく。
「才能があっても食えないじゃないか!」
って言う人もいるけど、今はブログもあるし、YouTubeもニコ動もある、つまり、ネットもデバイスもある。
食べるための仕事なんて東京に来たら腐る程あるし、地方なら空き家に格安で住めたりする。
資金がなかったら、クラウドファンディングなり、polcaなり、VARUなりやればいい。
つまり、
生まれ持った『才能』を存分に発揮できる世の中になって来てる
と、僕は思う。
やりたいことをやってこその人生だ。
(A1理論!)
と、
「書きたい気分じゃない。」
と言いつつも、スマホでだらだらと文章を書けてしまう俺は、ブログを書く『才能』があるのかも知れない。