お金と世界のことがよくわかってますね、ドストエフスキーさん!
さすが、借金返済のため、出版社との無理な契約をして、あまりのスケジュール過密さのため、『罪と罰』『賭博者』などは口述筆記という形をとっただけのことはある!!
しかしこの言葉、まるで今の日本のことみたいですねー。
『金があっても最高の理想をもたない社会』
って。
「いやいや、カネねーよ!」
という人がいるかもしれませんが、やっぱり日本人は金持ちだし、多くの人がお風呂のある家に住んでいるし、日本にいる限り仕事も選ばなければあると思います。
なにが足りないのかというと、僕はやっぱり『最高の理想』なんじゃないかな、と思います。
ただ、ここまで書いておいてなんですが、21世紀は『個人の時代』だと僕は考えています。
一人一台スマホを持っていますし、一人一台パソコンも持っています。(にゃんすは持ってないけど)
なので、ドストエフスキーの生きた19世紀ならともかく、
今の時代はそもそも社会に理想を求めなくていいんじゃないか?
と僕は考えています。
※個人の意見です
21世紀、国や自治体はパソコンでいうOSみたいなものになった気がします。
OSはwindows10のように最終進化形態でカンストしてしまって、細かいマイナーチェンジはあるものの、基本的にこれからの進化はほとんどない。
「車」の機能が10年前からほとんど変化していないように。
なので完全に僕の意見ですが、国や自治体のようなOS的なものに理想を求めるより、そのOSの上で理想的なアプリを作成したほうがいいような気がします。
もしくは他人の作ったアプリに乗っかる。
『国の理想がどうたら』『この県の理想はどうたら』という人は、この時代、ちょっと主語が大きい気がします。この考えは非常にコスパが悪い。
国や国民国家が不安定だった19世紀は、その上に乗っかっている個人の人生も不安定だったんだと思いますが、この21世紀『国』というものはすでに『ありもの』であって、そのアルゴリズムの中から自分の「最高の理想」のアプリケーションを作成する、そしてそのアプリケーションをフォローしてくれる親和性の高い人たちとコミュニティを形成して生きていくほうが国や自治体に理想を求める人生よりよっぽどコスパがいいと思います。
もしそれが日本というOSで実現できないのなら他の国で実現したり、国を越えて仲間を見つければいいんじゃないかと思います。
日本のパスポートは世界最強だし、国を越えて仲間を集めるツールも整ってきたと僕は思います。
なので僕はこう思います、
金があっても、『最高の理想』をもたない『個人』はやがて没落の道を辿る。
と。
で、キミらはバズらせて没落するの???