世の中を知り尽くしてますね、バルザックさん!
さすが事業に失敗したり贅沢な生活をして、かかりつけの仕立て屋に勘定は支払わず、代わりに作品の中で名前を出して宣伝をしただけのことはある!!
ちなみに僕の中での『バルザック』は完全に▲この人(元人間)ですw
しかし、この言葉、本当にその通りだとます!
『流行』ほど、滑稽なものはない。
いや、その滑稽さも理解して『流行』を遊んでるならまだいい。おっさんのオヤジギャグ的に(笑)
ガチで『流行』を追いかけてるヤツらはヤバい!
バブル期のファッションとか、お立ち台ギャルとか、ガチで狂ってるとしか僕には思えない。
さすがにもうバブル期のファッションとか流行は消えたけど(というか服も売ってないしねw)、未だに頭の中はバブル期そのまんまなおっさん、おばはんが、この国にはなんて多いんだといつも思う。
孫正義は、
「もう二度と日本にバブルは来ない、掛けてもいい!」
と断言してたが、まさにその通りで、バブル崩壊から20年以上経って、いつまでこの国は頭の中バブルなんだよってよく思う。
あれは昭和の一時期の『流行』『現象』であって、永久不変のものではない!
いい歳してなんでそんなこともわからないのか。
僕はそんなバブル臭い『日本』という国が大嫌いで、20代は海外をずっとフラフラしてた。
海外のいいところは、なんと言っても人々が『バブル』を知らないことだと思った。当たり前だけど(笑)
僕は日本人だけど『バブル』なんて全く知らない。
むしろバブル期にうちのオヤジが作った借金の記憶しか人生になくて、30代前半までは「親の借金」と「自分の奨学金」という『双子の赤字』を返済することしか頭になかった。
20代前半の僕は、自分の人生がそうなる運命だということがわかっていたから、ずっと海外をフラフラしてた。
9・11後で「アジアは危ない」とか言われてたけど、平気で危ない国にもずかずか入って行った。
別に死んでも良かった。
死んだら借金返さなくていいし、旅で死ねるなら本望だった。
バブル臭い日本でなんて、死にたくなかった。
そんなアジアの安宿であるゲストハウスには僕と同じようなバブル臭い日本から逃げてきた同年代がいっぱいいた。
話は合ったのだが、、、
彼らの多くはハッパにハマってたり、タイのおねーちやんにハマってたりしてた。
僕はどちらにも興味なく、本当に旅が好きなだけだった。
けど、彼らからは、
「なんのために旅をしてるの?」
と言われた。
「旅が好きだから旅をしてるんだ!」
と言いたかった。
その旅で僕は死んでも別に良かったんだけど、死ぬ前にカネが尽きたから日本に戻ってきた。
日本に戻ってきたらもう奨学金の返済からは逃れられない。
ということは日本で仕事をすることから逃れられないということであり、、、
ということは「親の借金」からも逃れられないということを意味していた。
それからは予想した通り、『双子の赤字』に苦しむ日々が10年ほど続いた。
けど、どうにかこうにか10年ほどもがいていると人生も好転するようで、実家はなくならず、僕自身の借金である奨学金も返済でき、風呂のあるアパートに住むこともできるようになった。
僕はすでに30代中盤になっていた。
相変わらず年上はバブル臭い連中だらけの国だけど、年下、特に20代とはめちゃくちゃ話が合うということがわかってきた。
彼らは僕やアジア人と同じく、
バブルは『流行』である
という、僕から言わせれば「当たり前のこと」を理解している人が多いのだ。
彼らの中には人生における「ゲストハウス」の重要性も理解してる人もいて、ゲストハウスを作ったり、紹介してる人もいて、僕が長年主張してきたことを黙々と実行してる人達もいる。
彼ら、彼女らにとって、『モノ』なんてものは全く重要性の低い価値観であり、
「人生の残り時間」
「親和性が高い友達」
「アイデアと比例している移動距離を稼ぐ旅行」
のほうが何百倍も重要度が高いのだ。
これは僕が長年、主張し続けてきたことなんだけど、年上のバブル臭い世代には全く理解してもらえなかった価値観だ。
そして、彼らが作ったゲストハウスにはアジアのゲストハウスに沈没してたような、ハッパまみれの、しゃべるのがゆっくりなにーちゃんは当然いない。
どちらかというと、生きることにポジティブな人が集まってるような気がした。
『流行』なんて滑稽だ。
『流行』に惑わされず、目の前の『快楽』に溺れず、
『自然の理』
を理解している人達とだけ、生きていきたい。
で、この記事をバズって『流行』らせようとしてどうする!?