「言葉」よりも大事なことを知ってますね!伊庭さん!!
さすが、現役を勇退する時、
「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈である。」
と語っただけのことはある!!
でも、『老害』を認識している老人って実は『老害』ではなくて、『老害』を認識してない老人こそが、一番の『老害』だと思うwww
で、このタイトルの言葉には続きがあります。
「わかる者には言わずともわかる。わからぬ者には、いくら言ってもわからぬ。」
と、続きます。
そーなんですよ!
「言葉はすべてを伝えない。」
と言ったのはニーチェですが、『言葉』なんて、単なる『ツール』であって、大事なのは『言葉』じゃなくて、『心』なんだと僕は思います。
『言葉』って、『心』を載せて運ぶ、ヴェネチアのゴンドラみたいなものなんじゃないかな?
で、大事なのはゴンドラの上に載ってる『心』なのであって、けして『ゴンドラ』自体ではない。
でも、世の中には『ゴンドラ』しか見ない人間が多くいる。
伊庭さんの言う「わからぬ者」ですな。
逆に、言葉での説明は少なくとも、すべて汲み取ってしまう人間もいる。
伊庭さんの言う「わかる者」ですな。
「わかる者」には、やっぱり人が集まってくる気がする。
だって、「ゴンドラの運搬効率」が良過ぎるもん。
で、「わからない者」からは人が遠ざかっていくように思える。
だって、「ゴンドラの運搬効率」が悪すぎるもん。
だから、伊庭さんは、
「言葉は八分に留めて、あとの三分はむこうで考えさせるがよい。」
と言ったんだろうな。
これは、
「あとの三割は言わずに、その三割中の『汲み取り率』から、その人間の『ゴンドラの運搬効率』を弾きだせ!」
って言いたかったんじゃないかな??
もっと言えば、
「その『ゴンドラの運搬効率』のいい人間から順番に、人脈重要度に『重み』をつけろ!」
と言いたかったんじゃないかな?
「趣味の合う人間」や「同じ場所で生活したことがある人間」は、確かに『ゴンドラの運搬効率』はいい。『同じ単語』をそもそも共有しているのだから。
『以心伝心』とも言う。
でも、そんな『同じ単語』を共有していない人間とも『言葉』という不完全なツールを通して、意味を最大限に汲み取れる人間こそが、伊庭さんの言う「わかる者」なんじゃないかな?
(一般的には「コミュニケーション能力」と言われるのかもしれないけど)
僕は、世の中には、
「頭の固い人間」
と、
「頭の柔らかい人間」
がいると思う。
「頭の柔らかい人間」は、『言葉』という「デジタル音声データ」をニューロンから電気信号で認識したあと、その「デジタル音声データ」を、脳内で「アナログなモノ」に変換できるんじゃないかな、と思う。
赤ちゃんや、犬が言ってることさえも、「なんとなく」理解してしまえる人間。
(ちなみに犬は「犬語」が理解できる人間を認識できるらしいw)
で、そういう人は、そんな「アナログなモノ」を咀嚼し、再び「言葉」という「デジタル音声データ」として発するのだけども、それを受け取る人間が「頭の固い人間」なら意味がない。
「頭の固い人間」は、その「デジタル音声データ」を「アナログなモノ」に変換できない。
「デジタル音声データ」を「デジタル音声データ」とでしか、認識しない。
だから、意味がない。
なので、僕は、この世には、
「頭のいい人間」と「頭の悪い人間」
がいるのではなく、
「頭の柔らかい人間」と「頭の固い人間」
がいるだけだと密かに思っています。
あ、こんな必死に『言葉』で伝えても、「頭の固い人間」にはどうせ伝わらない記事が『バズってどうする!?』