50歳までぼっちで、50歳から友達ができた下重暁子さんの『孤独の作法』を読みました!
と言ってもやはりこの方の本はイッキに読むともったいないので、今回は第1章です。
子供の頃、疎開先で病気で寝たきりだった下重さん、最初は同じ年頃の子供達の声が気になったが、次第に父親の持っていた小説や画集にハマっていく、
私は孤独だった。
けれど満ち足りた贅沢な時間に遊んでいた。
いいねぇ、この考え方!!
僕は子供の頃から兄弟や従姉妹等の親戚が多く、田舎だから近所付き合いもある。
でも東京に出てきて、さらに学生寮生活が終わり、さらに奨学金を返済して勤め人人生も終えた(笑)
今はやっと、自分の『孤独』という贅沢な時間を楽しむことができたことに感謝している。
今後の人生も静かに、ひっそりと『孤独』を満喫して生きていきたい。
今考えると、あの時の孤独な時間が、私の土台をつくったと思っている。
孤独の自由さとこの上ない快楽の時を知ってしまった。
『孤独』が『快楽』だという下重さん。
今の僕も全く同感です。
人に合わせて生きる時間ほどもったいない時間はない。
自分が神から与えられた時間は自分のためだけに存分に使い果たしたい。
生きていくだけならお金もそんなかからない。
だから自分のやりたいことだけをやりたいし、書きたいことだけをブログで書いて生きていきたい。
定年まで会社に尽くす人とか、働く気はあるのかもしれないけど、真面目に自分の人生を生きる気あるの?って問いただしたい(笑)
こんな中から個性が育つわけがない。
人と一つ同じことをしたら、持って生まれた個性が一つ落ちるのだと心得たい。
全くその通りだと思う。
人と同じことをするってことは人の人生を生きているのと同じだ。
人の人生を生きている時間は自分の人生は空っぽだ。その時間は自分の人生にカウントされない。
人になんと言われようが、自分の人生を生きるべきだし、それを認めてくれる人とだけ付き合えばいいと思う。
この第1章のタイトルは、
『孤独を知る人は美しい』
まさに、孤独な生き方は美の境地だと僕は思います。