子供の頃から「三重苦」の状態で生きていた、重度の障がい者であるヘレン・ケラーさんの素晴らしい言葉です!
▲wikiを読むと、素晴らしい言葉のオンパレードです!!
「人生は怖れを知らぬ冒険か、それとも無かのどちらかである」
「世の中は辛いことでいっぱいだが、それに打ち克つことも満ち溢れている」
「こつこつと気長に取り組めば、どのような望みでも実現できる」
「もしもこの世が喜びばかりならば、人は決して勇気と忍耐を学ばないだろう」
ヘレン・ケラーの本を読みたくなってきました!!
ヘレン・ケラー―暗闇から光を投げかけた愛の天使 (小学館版 学習まんが人物館)
- 作者: 高瀬直子,杉原めぐみ
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1996/05
- メディア: 単行本
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で、タイトルの言葉には続きがあります!
たとえ、救貧院に住んでいても楽しい胸が躍る輝かしい人生が送れるはずだ。
夕日は富豪の大抵宅からも救貧院の窓からも輝かしく照り返す。
この言葉を盲目の人が言った、ということがまずすごい!
さらに、人生の幸福度とおカネのある・なしは関係がない、と言い切っているのがすごい!
これについては僕も、今日の日中、ちょっと考えていたことなんですよね~。
おカネのある・なしと、幸福かどうかはリンクしていない。
いや、おカネがありすぎるばかりに不幸になっている家さえある。
逆に、アジアの人々とか、日本人よりよっぽど貧しいはずなのに、めちゃくちゃ幸せそうだったりする。
紛争地帯だったとしてもだ。
ヘレン・ケラーの言うように、夕日の輝きに貧富は関係ない、みんな平等なんだろう。
「太陽の前にはすべての人間、すべての生物はみな平等」
これって、ものすごく『安心』できる考え方だと思います。
おカネがあるとか、ないとか、
地位があるとか、ないとか、
障がいがあるとか、ないとか、
そんなことは太陽の前では「ちっぽけなこと」だと、目が見えないヘレン・ケラーは言っているんだと思います。勝手に人間が作った基準なだけで。
そして、ヘレン・ケラーはその「太陽」という名のベーシック・インカムの上で、「自分の人生をあるがままに楽しむ」のだと言っている。
これこそが、
「自分の人生を生きる」
ことであり、他人から見た「勝ち」「負け」を完全に断捨離した考えだと思います。
自分の人生における「やりたいこと」に向けて全力投球で、それ以外のことはどうでもいい、障がいを持っていることさえも、と、言いたいんじゃないかな。
これはものすごく考えさせられます。
結局、『幸』『不幸』なんて、自分自身の気の持ちようなんだと。
他人から見た『幸』『不幸』の基準なんて、所詮、その人間の半径50mくらいの価値観でしかない、ってことなんじゃないかな、と思いました。
自分が人生において与えられた条件(障がいがあるとか、貧乏だとか)なんてのは、たいした問題じゃない。
「人生をあるがままに楽しんでいるかどうか?」こそが大事だ、と、ヘレン・ケラーは言いたかったんじゃないかな?
『太陽が昇ってくれば、その時点で幸福だ。』
▼ということなのでしょう。
- 作者: 赤塚不二夫,杉田淳子,フジオプロダクション,
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2012/02/16
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天才バカボンの『幸福とは今日もおひさまが昇ること』を読んで、ブロガー目線での「幸福とは…」について考えてみた - 猫に小判
たとえ、その太陽が見れなくとも!!
あ、こんないつも『お幸せ』で、無駄にポジティブな中年フリーターの記事が、『バズってどうする!?』