※個人の意見です
僕は、
自分の部屋なんて、果てしなくシンプルでいい
と思っています。
だって、自分の部屋を着飾ってどうするんですか???
僕が部屋ですることなんて、
・寝る
・ブログ書く
・スマホいじる
・本を読む
くらいです。
寝ること以外は
情報の「インプット」か「アウトプット」
のみです。
それなら、
その「インプット」と「アウトプット」に特化した部屋にすればいい。
というわけで、僕の部屋は本以外のモノはミニマムです。
基本的にバックパッカー時代の生活と、そう変わりはありませんw
けど、逆に、よく行くゲストハウスやカフェは、最近は、
「オシャレかどうか?」
をよく見ます。
理由のひとつは、
そこで人と会うから。
時々、
「A1理論さんはオシャレなゲストハウスやカフェをよく知ってる、オシャレな人!」
と僕のことを勘違いしている人もいますw
(オシャレとは無縁のビンボーなおっさんです!w)
要は、
人と会う場所がオシャレであればいい
だけで、人と会わない自宅の部屋なんてのは、とことん『実用性』に専門特化すべきだと思います。
で、僕は、
「シンプル」こそが、最高の『機能美』
だとも思っています。
※個人の意見です
あと、最近のゲストハウスやカフェは、
「和レトロ」
なところが多いような気がします。
古民家リノベーション・カフェとか。
で、
そういうところでボロい服を着てても、あんまり不自然じゃない
のもいいですw
つまり、いつも行くゲストハウスやカフェが、僕の、
『応接室』
なんです。
自営業家庭で育った僕の意見を言うと、
『応接室』を所有するなんてコスパ悪い。
人と話をする『応接室』こそ、アウトソーシングするべきだと思います。
センスのいい人が全力で「オシャレ」にしてくれている空間なので。
ゲストハウスに至っては、寝る場所は『ドミトリー』というシンプルスペースで十分で、
バーや交流スペース、キッチンやトイレなどの水回りが『トコトンオシャレ』ならいい
と僕は思っています。
あと、特にブロガーは、定番の▼『マイ・オフ会プレイス』をいくつか持っておくと便利です!!
ブロガーは自分らしい『マイオフ会プレイス』をいくつか持っておくと超便利!その6つのコツを伝授!! - A1理論はミニマリスト
で、これは対外的な理由。
で、対外的な理由ではなく、自分的な理由は、、、
『オシャレ』をアウトソーシングしたほうが、自分も『オシャレ』を楽しめる!
ということです。
断食をした人は、逆に、
舌が敏感になる
と言います。
『オシャレ』もこれと同じで、いつもいる部屋がシンプルであればあるほど、
『オシャレ』に敏感になる
ような気がします。
で、
『オシャレ』に敏感になるからこそ、本当に『オシャレ』かどうかの目も肥えてくる
と僕は思います。
まぁ、単に『オシャレ』に慣れてない、とも言えますw
逆に『オシャレ』に慣れ過ぎていると、それが日常になってしまって、『オシャレ』に鈍感になる可能性もあると思います。
普段、『オシャレ』ではないから、『オシャレ』になれる。
美術館はたまに行くから美術品に感動するのであって、もし美術館に住んでいれば、さほど美術品に感動しないと思います。(動物園や水族館も同様)
日本人の「ハレ」と「ケ」みたいなもんですww
「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。
ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。
『オシャレ』を楽しむのは「ハレ」の日で、
普通は「ケ」の日。
やっぱり、メリハリって大事ですよね~。
wikiを見ると、やはり、明治以降、日本人は「ハレ」の様式が「ケ」の日の『普通』になったと、書いてある。
「ハレとケ」という概念関係の捉え方は、柳田國男が近代化による民俗の変容を指摘する一つの論拠として、ハレとケの区別の曖昧化が進行していること(例えば、ハレの儀礼時にのみ行っていた特別な飲食が日常的に行われる、など)を提示したのが始まりである。
柳田は、何世代か前の人々の「ハレとケ」の区別の仕方と、柳田の同時代の人々の「ハレとケ」の区別の仕方を比較し、そこから未来への潮流を読みとろうとした。
日本人なんて、元々は食事も玄米菜食で、住居も至ってシンプルだったはずだ。
ちなみに、上記の柳田国男の▼生家はミニマリズムにもほどがあります!!w
というわけで、
「オシャレ」を楽しむのは「ハレ」の日。
普通の日は「ケ」の日。
それが明治までの日本人の生活様式だったんだろうし、
僕はそれをいまでも実践してるだけです!!