シブイねェ…まったくおたくシブイぜ!渋沢さん!
さすが、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を結び、その影響から文久3年(1863年)に尊皇攘夷の思想に目覚め、
「高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜を焼き討ちにしたのち長州と連携して幕府を倒す!」
という計画をたてるが、従兄の惇忠の弟・尾高長七郎の懸命な説得により中止しただけのことはある!!
(なにしょんねん!w)
しかし、渋沢さん、人生で大成功を収めた割には、自分を客観視したような考え方を持ってますねー。
渋沢が三井高福・岩崎弥太郎・安田善次郎・住友友純・古河市兵衛・大倉喜八郎などといった他の明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにある。
「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めた。
なかなかのミニマリストっぷり!!
その心意気やよし!!
▼五代友厚さんともちょっと似てますねぇ。
渋沢さんは今の「みずほ銀行」の前身の前身の前身の頭取でもあるのに。
まぁ、しかし、もしかしたら、他の財閥を形成した人たちと違って、渋沢さんは、
褒められるのが苦手、もっと言うと嫌いな人
なのかも知れない。
僕もどちらかというとそうなので、少しわかる気がする。
たぶん、
人間社会を俯瞰して見てるんだろうな、
と思う。
ジョブズがiPhoneを出した時、絶賛されたけど、
「いつか誰かがしたとこを自分が最初にやっただけ。」
みたいなことを言ったらしいけど、ちょうどそんな感じで。
人類は、元々、アフリカの1人の女性「ルーシー」の子孫だと言うが、そのルーシーの卵細胞が分岐したうちの一つがそれを成し遂げただけで、結局、それは「人類全体の成果」というか、ルーシーの成果というか、「そんなもんだろう。」と、渋沢さんは思っていたんじゃないかな?
なので、人間という一個人に「成功」も「失敗」もないと。
「成功」もたまたま、
「失敗」もたまたま、
なんだと。
そもそも「成功」「失敗」という基準自体がルーシーが勝手に決めたプロトコルに過ぎないわけであって、他の生物からしてみれば、そんなのどーでもいーわけで。
で、「成功」も「失敗」も、単なる偶然の産物。
いや、僕、個人的には頑張ってる人が好きだし、そういう人といっしょにいたいと思うけど、それはそれ。
頑張ってる人は、たまたま「頑張る才能」を持って生まれた、もしくは幼児期の環境がそうさせただけであって、それ以外の人の人生を否定できる存在ではけしてない、と思う。
ルーシーのプロトコルを離れてしまえば、「成功」も「失敗」もこの世には無いわけであって、そんなの気にして生きるなんて、バカげている。
そして、僕的にはルーシーは所謂、我々が言うところの「失敗」も、すべて計算に入れてプロトコルを組んだようにも思える。
なので、すべての人類は、
「ありてあるもの」
なんじゃないかな?
だから、人は他人の存在自体を否定するべきじゃないと、僕は思う。
存在しているんだから。
人の人生を「成功」だの「失敗」だの、論じることがおこがましいし、そんなことは物好きのゲーマーだけの仲間内でやってればいいのだ。
「成功」「失敗」なんてことよりも、
「あなたが生きている今日」
こそが、最も尊いことだと僕は思います。
あ、こんな、特になにも成功を収めてないのに偉そうに書いてるヤツの記事が『バズってどうする!?』