未来と過去の関係性を理解していますね!バイロンさん!!
さすがバイロンにつきまとい続けた、過去に破局した女性(キャロライン)が、彼への思いから身をやつし、やせ細った時、
「骸骨のようだ。」
と言っただけのことはある!!
(バイロン、それはアウトだ!!w)
しかし、このタイトルの言葉、本当に最近、よく実感します。
僕は自分の行動パターンが自分でもよくわからなくなることが多いのですが、よくよくあとから考えたら、
「あ、そうだ!俺は元々、こういうヤツだった!」
とか、
「そうか!あの時の体験がトラウマになってるんだ!」
とか、だいぶあとになって気づいたりしますw
ところで、昔、なにかの本かサイトで読んだ記事に、
「人間は子供の頃にやってたことが、一番、好きなこと。」
という文書があった。
今、この記事を書きながら僕が思ったのは、
「そう言えば、自分は子供の頃から、なにかしら『書く』ことや『描く』ことが好きだったなぁ。」
ということです。
漫画を描いたり、作文を書いたり、手紙を書いたり、文化祭の演劇の台本を書いたり。
もうね、『書く』ことで自分の世界に入り込んでましたよ。
20歳で、東京の大学のメディアネットワークセンターで『インターネット』なるものに出会ってからは、もうどハマりして、学内掲示板に文章を書き散らすためにだけのために大学に言ってました。
ちなみに、授業には出てませんw
たぶん『聞く』ことより、『書く』ことのほうが好きだったんだと思います。
論文試験の成績はよかったです。(授業出てないのにw)
その学内掲示板は、やがてメルマガになり、mixi日記になり、今ははてなブログになりました。
たぶん、僕は『台本』を書くのが好きで、次に、その『台本』を演じるのが好きなんだろうな、と、今、この記事を書いていて理解しました。
自分の人生の『脚本家』兼『演者』。
脚本を書いたり読んだりする媒体が、紙からパソコン、そしてスマホになり、かなり便利になりました。
脚本を書くプラットフォームも、ログが消える学内掲示板から、消えないメルマガ、ソーシャルなmixi日記、オープンかつソーシャルなはてなブログと、どんどんと便利になっていきました。
が、僕の生き方は変わってないです。
たぶん、これからもブログ等で、人生の『脚本』を書き続け、その脚本に忠実に演じ続けることでしょう。
僕の脚本(ブログ)をいつも読んでいる人には、僕の行動原理(A1理論)が理解できるでしょうし、僕の脚本(ブログ)を読んでない人は、相変わらず、
「あいつのやることはわけわからん。」
と、言い続けることでしょう。
そりゃそうだ。
脚本を読んでないんだからww
僕の人生に対する基本スタンスが子供の頃から変わってない限り、時代が変わっても、それに対する僕の(正確には僕の脚本の)スタンスは変わらないだろう。
つまり、僕の未来は『過去』にすでに予言されていることになる。
なので、「時代の流れ」さえつかめれば、たぶん、『未来』と『それに対する自分の行動』は、なんとなく読めるようになる、と、僕は思います。
あ、こんなおっさんのこんな「一人語り」が『バズってどうする!?』