『イギリス経験論の父』と呼ばれたロックさんです。
この『経験主義』、僕は昔から大好きなんですよねー!
どれだけ『知識』があっても『経験』にはかなわない、という考え方。
人間は、
『知識』>>>>>>>>>>>>>『経験』
と考えがちですが、それは大きな間違いで、
『経験』>>>>>>>>>>>>>『知識』
なんなんじゃないかと、僕は思います。
おそらく人間が『知識』を重要視してしまいがちなのは、人間が『言葉』を操り、かつ『文字』として残すことができるまでの知能を持ち合わせてしまったからなんじゃないかな、と思います。
僕から言わせればまさに進化の袋小路www
単なる中二病wwwww
しかも、その『文字』も、ほんの少し前の20世紀くらいまではすべて『紙ベース』だった。ぜーーんぶ『紙』に書かれていた。
だからその『文字』が詰まった『紙』の『本』が重要視されたし、その本が詰まっている『図書館』が重要視されたし、さらにその『図書館』を多く所有する『大学』が重要視された。
でも、21世紀になって、その『文字』は『WEBベース』になってきた。
しかもスマホの発達で、いつでもどこでも一定の『知識』は得られるようになってきた。
そうなると、これからの時代はますます『経験』、もしくは『経験にひも付いた明文化されていない知識』が重要視される時代になってくると思う。
これは僕は大歓迎で、修行を積んで『経験』を得た人が正当に評価される時代がやっと来たんじゃないかと思っています。
「いやいや、賢者は『歴史』に学び、愚者は『経験』に学ぶって言うじゃないか!」
という人もいるかもしれませんが、それはおそらく、
『経験』を積んで歴史を知った人(『知識』も持っている人)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>『経験』しかない人
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>『知識』しかない人(歴史しか知らない人)
ってことなんじゃないかな、と思う。
職業人として『経験』があることは前提で、さらにその事象がなぜ起きたのか、それに対する予備知識を付けたり、時代背景を学べ、と言いたいのであって、『知識』しかない人を評しているわけじゃけしてないと僕は思う。
今までは大学で言葉遊びをしているだけの人や、ネットの前で情報収集をしていただけの人が評価されたけど、そういう人の評価は今後、スマホネイティブ世代が大人になるにつれてビックリするほど大暴落していくと思います。
明治時代になってもまだちょんまげを結っていた元サムライレベルに時代錯誤になっていくと思います。
だから僕は20代の頃からずっと言っていること、
「実際に『動いて』いる人間が一番強い!」
が今後はよりリアリティを増してくると思います。
ネット上の情報なんて悪気はなくてもその人の主観は必ず入るし、書かれた瞬間に、すでに「過去の情報」ですから。
で、そんなネット上の情報をどれだけ集めてもリアル世界の五感で集めた情報量の足元にも及ばない。
ガイドブックをどれだけ読みこんでも、ガイドブック上の旅の情報は極々一部でしかなく、実際に旅した人間の情報量には全く及ばない。
それと同じで、人生もどれだけ知識や情報を集めても、実際に『動いて』いる人間の『活きた情報』『経験にひも付いた知識』には足元にも及ばないんじゃないかな、と僕は思います。
だから僕は言い続けたい、
『動き』ながら『ググる』人間が最強だ!!!と!!!!
(ま、こんなことどれだけ言葉を尽くして言っても、元から『動いて』いる人間は20代前半くらいから完全に身体で理解しているし、『動かない』人間は永遠に理解できないんですけどねw理由は『動かない』からww)
で、バズった『経験』を俺に積ませてどうする!?