昨日の夜はめちゃくちゃ疲れてたので、ブログを書いて、スマホをいじってたら猛烈な睡魔に襲われて、そのまま爆睡。
ただ、なぜか4時間くらいで目が覚めた。
昨日の夜、めっちゃ疲れてたんだけど、4時間くらいで起きて、そこから寝れない。
そんな日もあるよね。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年6月23日
で、仕事のことなんかも考えながら、ボーーッとしてたら、ふと、一昨日のライブの後、下北沢のケバブ屋さんでブログ仲間のn00(ヌー)さんに聞かれたことを思い出した。
「A1さんは子供の頃、どんな子供だったの?周りの子供が子供っぽ過ぎて話し合わなかったんじゃない?」
って言われた。
ちなみにn00さんは、ありがたいことに、僕のことを、
「ブログ記事がキレッキレ過ぎて、この人にコンタクトを取るためにtwitterを始めた。」
と、言ってくれる年上女性だ。
僕はでも、その時、ライブの後でいきなり言われたのもあるけど、
「うーーーーん。。。。」
って考え込んでしまった。
で、あんまり覚えてないけど、
「まぁ、ビンボーやったから。。。」
みたいなことを言ったような気がする。
結局、CPU性能が高くても、肝心の『情報』が少なければ、情報処理能力は活かせない。
時はバブル時代。
同級生の『情報量』はすべてにおいて我が家を凌駕していて、僕はいつも後手後手。
しかも、僕は四人兄弟の長男で、我が家は弟やその友達とかで溢れかえっていて、常にガキっぽかった。
金持ちの次男、三男なんかには『情報量』ではもう月とスッポンだったんだろうな。
まぁ、20歳まではとにかく「カネがない」思い出しかない。
もしかしたら、同級生の女の子とかはなんとなく、客観的にその状況を「女のカン」みたいなので理解していたのかもしれないけど、我が家の問題なのでどうしようもない。
その状況を薄々気づいてた一部の男からしてみれば「A1理論(仮)気にくわねぇ」ってことなんだろうなぁ。
あのまま『姫路』という「小天地」にいたら20歳そこそこで気が狂って死んでただろうな。
東京の大学に入りなおした僕は、図書館とPCルームに入り浸った。
特に『インターネット』というモノに出会った時は衝撃だった。
「こんなのあったら、人生、楽勝じゃん!!」
って思って、PCルームで何時間も、人差し指タッチで学内掲示板に思いのたけをぶちまけてたりした。
「なんで大学の授業に出ないんだ?」
とか言われても、僕から言わせれば、大学の授業なんて、
「トロい」
の一言だ。
1年間の授業内容を1冊のノートにまとめてくれたら立ち読み読了できる程度の『情報量』の薄さだ。
それなら勝手に本読んだり、ネットで情報収集したほうがスマートだろ、って思ってた。(ま、これは今も変わらないんだけれども)
けど、自分でPCを買うのも当時は高く、そもそも僕が住んでた寮費が月三千円の学生寮にはネット環境がなかった。
大学卒業後はフラフラしてて、まともな家に住んで、まともなネット環境になったのは、やっと26歳も終わりの頃だ。
(まともな家と言っても風呂なしアパートだけれども)
とは言え、パソコン知識は『貧弱』の一言だった。
もう、そもそもメカっぽいモノに全く興味がないし、要はネット上に文章が書ければいいのだ。
と、言っててもしょうがないのでいろいろ勉強し始めた。
mixiなるものも始まり、毎日、ながーーーい日記をずっと書いてた。
でももうひとつ、大きな大きな問題があって、それくらいの時期から「親の借金」と「自分の学費の借金」という『双子の赤字』にずーーーーーっと苦しめられるようになり、それらが落ち着いたのは、ようやく30代前半だ。
30代中盤に経済的には少し落ち着き、風呂のあるアパートに住むことが出来て、長らく続けていた仕事を辞めた。
2012年にiPhoneを持ち、2013年の初めに『はてなブログ』なるものが始まると知って、
「次はこれなんじゃないかな?」
って思った。
当時はパソコンメインの『第一次IT革命』から、スマホメインの『第二次IT革命』への移行期だった。
カネがないために、『第一次IT革命』は後手後手に回ったけど、『第二次IT革命』はスタートダッシュが切れる!
って、僕は思ったんだろうな。
それからいろいろあって、貯金はまたゼロになったけれども、1年半ほどまた働いたおかげで、おかげさまで、今現在は2012年当時くらいの貯金額に回復した!
東京に来てからは新宿区をメインに生きていた。
大学も新宿区にあったし、飲む場所も大体、新宿区内だった。
台東区蔵前に居候していた時もあったけど、結局、新宿に通ってた。
世界中、いろんな町に行ったけど、やっぱり東京の新宿区が一番「情報」が集まってるように思えたし、なんやかんや言っても「アジアの中心」なんじゃないかと思っている。
「A1理論さん、いつ下諏訪に移住してくるんですか?」
とか、下諏訪町役場の人に言われたりするけど、、、
20歳までの姫路での極貧生活、
40歳までの東京での極貧生活を経て、
この『情報』が溢れる街・新宿で、
『躍進』
したいんだろうな、自分は。
って思った。
そんな朝だった。
情報欠乏の時期があったからこそ、情報のちからやありがたみがわかるし、それを発信することでどんどん拡大させて行くことのアドバンテージが、体感的に会得されてるんでしょうね。 / “自分が東京都新宿区に住んでる理由がなんとなくわかった…” https://t.co/3m7zw6VsBK
— n00(ヌー) (@like_a_rhino) 2017年6月23日