なんだか微妙に早起きしてしまったので、
「短いブログ記事でも書くか。」
って思った。
で、仮眠する前につぶやいた▼この言葉をタイトルにしてみたw
ブログと人生は似ている。
『正解』はない。
だから、自分で決める。
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年11月25日
僕が『ブログ』が好きなのは、『正解』がないからなんだろうな
って思う。
そう考えれば、
『ミニマリズム』とか、
『旅』とか、
『ゲストハウス』とか、
『読書』とか、
僕が好きなモノは『正解』がないモノが多い。
そういうモノに『正解』を付けようとしている人が僕は好きじゃない。
「ブログは毎月何PVですか?」
「モノはいくつくらい持ってるんですか?」
「ゲストハウスはいくつ泊まったんですか?」
「海外は何か国ぐらい周ったんですか?」
「本を読むのに1冊どれくらいのスピードで読むのですか?」
みたいな感じで聞いてくる人は多いし、まぁ、悪気もないんだろうし、一定の基準は必要なのかもしれないけど、
「なんか、貧しいな。」
って思ってしまう。
人生の『正解』は自分で決めたい。
学校の勉強とか、企業の予算とか、国家の目標とかは、
先に『正解』がある。
で、『正解』に向かっていったほうがより評価される。
でも、それは、組織の『正解』であって、個人の『正解』ではない。
個人の『正解』を、組織の『正解』に求める人にとっては、『正解』が違う人間が組織にいるのは都合が悪い。
なので、
「とにかく勉強しろ!」
「ごちゃごちゃ言わずにとっとと働け!」
「働かざる者食うべからず!」
になる。
でも、それって、一種の『宗教』だよねぇ?
『正解』の押し付け。
人類のとって、
「プロダクトの『生産性』」
が低かった時代は、
『企業』の『正解』が、個人の『正解』であり、
『国家』の『正解』が、個人の『正解』であり、
『宗教』の『正解』が、個人の『正解』だったんだろうな。
なぜなら、
それらが強大なパワーで『メディア』を支配していたから。
ここで言う『メディア』とは、かなり広い意味で、
「人と人との伝達媒体」
くらい広い。
「学校」とか「教育」とか「井戸端」とかも、この場合の『メディア』に入れてもいいと思う。
なので、今までの人類の『正解』とは、そういう強大な『メディア』を支配している権力側に決めてもらっていた。
で、その権力側が決めた『正解』から外れた人は、
もう一つの権力側の『正解』に付くしかなかったんじゃないかな?
『資本主義』に対し、『共産主義』。
『自民党』に対し、『社会党』。
『巨人』に対し、『阪神』。
『吉本』に対し、『松竹』。
『優等生』に対し、『ヤンキー』。
『戦争』に対し、『ヒッピー』。
みたいな。
大きな『正解』に対するには、二番目に大きな『正解』の側に入るしかなかった。
どっちにも入らないごく少数の人は『変わり者』『一匹狼』でしかなかった。
でも、そもそも、
根本的に『人生』に『正解』なんてないはずだ。
人類自体が存在意義ないんだから、普通に生きてもダメに生きてもどっちでもいいと思う。 - A1理論はミニマリスト
思い煩うことはない。人生は無意味なのだ。(モーム) - A1理論はミニマリスト
今までの人類の『プロダクト』が、あまりにも貧弱だったから、それを精錬することに『正解』を無理やりくっつけていただけであり、
それはある意味で、人類の『はしか』、もっと言えば『厨二病』だったんじゃないかな?w
『正解』は、自分で作れるフェーズ
に、人類は到達しつつあるんだと僕は思う。
で、さっき目覚めてから、寝転びながら読んだ▼この記事。
お金よりも影響力のある『世界観』を持つ人のほうが大事になる時代になる。DIOの『世界』“それだけ「世界観」を作ること、そしてその「世界観」に人を集めることが、ますます重要になっていくのです。” / “ブランドとメディアの境目がな…” https://t.co/v1R1D3iBEf
— A1理論はミニマリスト (@A1riron) 2017年11月25日
あらゆるサービスで大事なのは「スターを出す」こと、つまり「私はここに育ててもらった」と恩義を感じる人を増やすことだと思う。
UUとか滞在時間とかは全然KPIにならなくて、「あなたのおかげです」と言ってくれる人をどれだけ増やすか。サービスの設計はすべてそこからはじまる。— 最所 あさみ(asami saisho) (@qzqrnln) 2017年11月23日
現在の人類は、
『RPGツクール』『シムシティ』化
してきてるんじゃないかな?
自分の『正解』を作れる人は、その『正解』に基づいた『世界観』を構築する。
自分の『正解』を作れない人は、好きな『世界観』を持つ人をフォローする。
これは20世紀以前にも多少はあった現象なんだろうけど、なにしろ『メディア』が貧弱だったものだから、運とか経済力、あるいは権力によって、マイナーな『世界観』は潰されていっていたんだろうな。
DIYは、本来、個人で、個人が、個人の『世界観』を楽しむモノだったんだろうけど、それがインスタ等が普及することで、DIOという、
『世界観』を共有すること自体を楽しむ
という、
むしろ『体験』を共有することのほうが、その、作ろうとしている『モノ』よりも大事になりつつあるんじゃないかな?
DIOから、『ゴールド・エクスペリエンス』が生まれる的なw
「悪」には「悪」の救世主が必要なんだろw
ゲスハの極み!アッ―!(打ち切り抜刀斎!w)
というわけで、、、
今の人類が求めているのは『モノ』ではなく、『正解』であり、
その『正解』の『世界観』を自分のチカラで構築できる『個人』なんじゃないかと、僕は思う。
『組織』ではなくて。